MISSING WORD 第7話 「それぞれの場所で」 (中編)


ミルの持ってきたコーヒーカップの中の、琥珀色の液体を眺めた後、卓也は彼女に顔を向けて切り出した。

「なあミル先生・・今の時点でこんな事を言うと嫌味と受け取られるかも知れないが・・もしウィルス騒動が解決したら君はその後どうしたい? やはり保管庫で眠りにつきたいかね?」
「・・・仕事がないならそうするつもりです・・」
「・・いや、実は谷村君が君を慰留したいと思っているそうだ・・このメンテナンス課は・・ヌイもいるが、どちらかといえば男所帯だから、まとめ役になる落ち着いた大人の女性にいてほしいそうだ・・」
「・・・・・」
「もちろん、医師免許を持つ君にこんな畑違いの所で働いてもらうのは不本意だと分かっている・・どうしても医療関係の仕事でなければ嫌だというのなら無理強いはしないが・・・」
「・・・この課の殿方は美人に目がないようですね」

そう言ってミルは微かに笑った。以前のような皮肉っぽさのない、穏やかな眼差しだった。

「私に“前兆”が訪れたのはご存じですか?」
「ああ、谷村君から聞いている・・何と言ったらいいか・・」
「いえ・・覚悟はしていましたが、それでも私、その時は取り乱してしまって・・その場に居合わせたリップにどうしてさっさと保管庫に入れてくれなかったのか、何でこんな思いをしなきゃならないのか・・そんな意味の事を言ってしまったんです」
「・・・前に言っていたね・・私達に引き留められた事で死に損なったって・・生きているのが嫌になるような、つらい記憶があるのかね?」
「前のマスターと色々あって・・いつしか彼に人間の女性のように愛して欲しいと望むようになっていたんです。でもここに送り返されて・・私はそれを“愛がなくなって捨てられた”と受け取りました」
「・・・・・」
「自意識過剰だったと思います・・・泣き言をいう私にリップは・・今私が生きているのは主任や課長や、この課の人々が私を必要としているからだと言いました」
「そうだ・・きっかけは偶然だったかも知れないが、君の持つ知識や経験が役に立つと見込んだんだ・・」
「彼は・・リップは、CBDにとって大切なのは、頼られ必要とされる事だとも言いました・・・ですからもし、私ごときを必要としてくれる方々がいらっしゃるのなら、その為に今まで学んできた事、身に付けてきた事が無駄になっても構わない・・今はそう思っております」
「・・じゃあ、谷村君の話は・・・」
「いずれ私の方からも課長に話しますが・・・お話、お受けしますとお伝え下さい・・・」
「有り難う・・伝えておくよ・・」

卓也のその言葉にミルは頬を染めた。伏せた目にうっすらと涙がにじんでいた。

「全てのCBDが開発コンセプトにのっとった仕事に従事している訳ではない・・そっちで事務をやっているヌイも、元は・・その・・ダンサーになる予定だったんだ・・」
「ヌードダンサーですよね? 存じております」
「そ、そうか・・そのはずだったんだが、納品直前にキャンセルになってね。不憫に思った矢沢君がここへ連れてきたんだ」
「畑違いの仕事に抵抗はなかったんですか?」
「最初はやはり戸惑っていたそうだが、業務用ソフトをインストールされてからは『自分の代わりに帳簿を丸裸にするわ! 不正支出は許さないわよ!!』と息巻いていたそうだ・・経緯はともかく水は合っていたようだね」
「・・・では彼女に心構えを教わらねばなりませんね」
「そんなに気負わなくていいよ・・そうとなればウィルスには何としてもご退場願わなければ・・君に新たな人生を歩んでもらう為にもね」

卓也はコーヒーを飲み干して立ち上がった。今度は自分の戦いの場に赴かなければならない。

「ご馳走様・・・そうだ、一つ・・いや、二つほど聞いておきたい事があるんだが・・マザーの“あの行動”は・・前兆に当たるのかな?」
「裏技の事ですか? それはないと思います。彼女に関しては随時ウィルス・スキャニングを行ってますが、幸い未だに検出されていません」
「そうか・・ならいいんだが・・・それとマミの事だ。メンタル・チェックにはフォート・カンプ検査も含まれていたね?」
「はい。あれは前兆を誘発するという事で現在は使用を見合わせてますが、マミさんの時はまだ行っておりました」
「彼女はどんな設問に強い反応を示したのかな? 実は未だに知らないんだ・・私から役員決議を聞いた時、何故マミが南原・・社長を締め上げにいこうと思ったのか・・彼女は何が気に入らなくてあんなに怒ったんだろう?」
「検査結果からそれを割り出せたかという事ですか? それなら私よりもマミさんに直接尋ねた方がいいと思います。私もその事について質問しましたが、彼女は答えませんでした」
「君にも打ち明けなかったのか・・・そんなに答えにくい理由なんだろうか・・分からないな・・・」


フォート・カンプ検査。CBDに感情を刺激するような内容の質問をし、その時の情緒反応を調べる検査法である。
卓也が去った後、ミルはデータ・パッドに表示したマミの検査記録を読み返していた。
マミが強い反応を示したのは人間が人間に、あるいはCBDに対して行う非人道的な扱いに関する事だった。
虐待、リンチ、暴行、強制わいせつ、生体実験、殺人、戦争――とりわけマミの感情が高ぶったのは、それらに子供が関わっている質問だった。
子供が不幸な目にあっているのが耐えられないという思い――それがマミの怒りや悲しみを刺激する。
ミルには心当たりがあった。マミの行動履歴をチェックしていると、しばしば溜め息と共に画面がブラックアウトしたり視線がわずかにぶれる時があった。
彼女が見ているテレビのニュース番組に子供を巻き込んだ事件や事故、そして一家心中といった報道が流れている時にそれは起こった。おそらくマミは悲痛な面持ちで目を伏せたり頭[かぶり]を振ったりしているのだろう。
子供達の未来を閉ざしてはいけない、子供達に健[すこ]やかにあって欲しいという思い。それこそがマミの持つ資質、マミのサイバドール・マミたる所以[ゆえん]だった。
おそらくマミはウィルス感染の隠蔽工作の向こうにあるものが見えてしまったのだろう。社会的信用を失ったサイバーダイン社が解散に追い込まれるにせよ大手企業に吸収されるにせよ、はじき出されてしまった社員とその家族の行く末に何が待つのか。
会社が最悪の選択をしてしまった時、常にそのツケを払わされるのは未来を目指す者である。未来を手にした者ではない。
揺るぎないと信じていた“帰る場所”がひっくり返され、明日への不安に満ちた場所になったとしたら、子供達の心にどんな影が落ちるのか。
それをもたらす者こそ憎むべき者――おそらくマミの前兆はそんな思いによって引き起こされたのだろうとミルは推測した。
気になるのは何故マミがその事を卓也に説明しようとしないかである。それはマミとして恥じる理由ではないはずだった。
それとも卓也との間に子供にまつわる話題を口にしないという空気でもあるのか。
卓也が以前、開発部班長の八神希美と夫婦関係にあったという話はミルも聞いていた。もしかしたらその事と関わりがあるのかも知れないが、しかし今のミルにはそれ以上の事は分からない。
それにしても、とミルは思う。CBDにも嘘や隠し事は出来る。だがそれはあくまでマスターの不利益にならない範囲でだ。マミがだんまりを決め込んだ為に立場上、ミルはメンタル・チェックの報告書に卓也に不利になる内容を書かざるを得なくなった。
マミのプログラムの改変があった部分――それを解析してみると早乙女卓也に対してきつい振る舞いをするよう命令されている事が分かった。マミが卓也の苦境にも平気でいられる訳は分かったが、一体何故そんなものが仕掛けられているのか。まるであのリーフの様ではないか。
何故卓也はそれを異常と思わないのか。普通ならこれはOSにバグがある事を疑ってしかるべきシチュエーションだが、ミルは何故か卓也がそれを意識して許している様な気がしてならなかった。
もっと知りたい。ウィルスの災いを生き延びてもう一度会えたら、マミとそれらの事についてゆっくり話してみたい、特にマスターとの信頼関係について――ミルはそう思った。メンテナンス課職員や医師ではなく、一人のCBD[おんな]として。


(続く)

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