MISSING WORD 第7話 「それぞれの場所で」 (後編)


メンテナンス課事務室に続く廊下で希美は向こうからやって来る卓也に気付いた。
卓也も“希美達”に気付いた様だった。彼らは普通に話し合える距離に近付いて挨拶を交わした。

「ハァイ・・・」
「どおもッス、主任」
「やぁ、の・・八神班長・・」
「別にいいわよ、他の人はいないんだから」
「おいおい、俺らはユーレイかよ」

希美はリップと私服姿のムンクを伴っていた。希美の年齢の事を考えると、端からはちょっとした親子連れに見えるかも知れない。

「どうしたんだい、ムンクさん・・その服装は・・帽子までかぶって・・」
「誰かさんは人目にさらしたくない様ッスねぇ・・・まぁオフクロが付き添っている時点でバレバレだけど」
「うるさいわねぇ・・・この子にも・・前兆が来たのよ。自分で異変に気付いたの・・」

もちろんムンクは“前兆”の事は知らなかったが、あの時――マミからの電話を切れと希美に言われた時――の行動は普通ではないと思った。
希美が都合の悪い会話を一方的に打ち切るクセがあるのはムンクも知っていたから、それをたしなめる用意はあった。だが、命令に背いて希美に睨まれた時、そっぽを向いたのは自分でも意外だった。やるつもりのなかった行動をとった事にムンク自身困惑していた。
出社してから冷静さを取り戻した希美も、ムンクのあの振る舞いにその疑いがある事に気付いた。帰宅してからムンクに打ち明けられた時、それは確信に変わった。

「そうか、とうとう・・・そういえばリップ君も・・谷村君から聞いたよ・・」
「いえ、どうも・・・でもお気遣いなく。ここまで来たらなる様にしかならないッスから」
「うむ・・ところでムンクさんをどうしてここに? あ、もしかしてアレかい?」
「そう・・昨日出来たばかりの、ウィルスの進行を遅らせるワクチンを試してみようと思って・・・」
「いやホント、マミさんもあと一日出かけるのを遅らせればワクチンを接種できたんスけどねえ・・」
「そういう問題でもないんだけどね・・しかし、いいのかい? どの程度効くのか、十分なデータがまだ取れていないって言うし、それにCPUの演算速度が落ちる“副作用”があるとも聞いているし・・・」
「だからこの子を使ってデータを取らせたいのよ・・・・今の私にはこんな事しか出来ないから・・・ムンクの了解も取り付けているわ」
「そうなのかい、ムンクさん?」

ムンクは黙ってうなづいた。希美らしくない事だと卓也は思った。了解を取り付けなくてもマスターとして命令すれば済む事なのだ。
希美の心境の変化がマミとの“最後の電話”にあった事を卓也は知る由もなかった。

「まぁ、何も手を打たないよりはましッスよ。万が一に備えて彼女のバックアップも取りますしね・・・ウィルス付きだけど。あとは撃退法を見つけるだけッスよ」

プレッシャーをかける者がここにもいた。しかし悪意はない。それは人間とCBD全ての願いなのだ。名実共に待った無しの状況なのだ。卓也はムンクの方を見た。

「覚悟の上です。私はサイバドール、記憶以外に失うものなどありません」
「(記憶以外、か・・・) すまない・・君の決意に感謝する・・・君のご主人様にもね」

卓也はそう言って希美に向き直った。彼女は何か気まずそうに落とした視線を泳がせている。卓也は不意に希美が二日前にマミの最後の行動履歴を見ているのを思いだした。
あれを見てどう思ったかたずねようとした時、彼はおやっと思った。ムンクが希美を肘[ひじ]で小突くのが見えたからだ。

「分かってるわよ・・・あの、卓也・・今日査問会よね・・もし、マミの事で何か聞かれたら・・・私の名前、出していいから・・・」
「そうか・・・有り難う。でも君に代打を頼む事はないと思うよ。強力なルーキーが見つかったものでね」
「そ、そうなの? なら・・いいんだけど・・・」

あっさり引き下がったところを見ると、やはり気乗りしていなかったのだろう。もちろん卓也には分かっている。

「私は働きの割に無駄に高い年俸を要求するバッターを打ち取りにいくよ。内角高めの球でね」
「危ないッスねえ。もしかしてデッドボールを狙っています?」
「わざと狙いはしないよ・・手元が狂うことはあるかも知れないがね」

ノリよく意味深な野球談義に花を咲かせる卓也とリップを見ていて希美はある事に気が付いた。
昔の卓也は野球の話なんかしなかったはず・・・。

「そう言えば野球が好きだったわね、マミも・・・あなたもそうなったの?」
「いや、今も昔も野球には全然興味ないよ。ただ、マミさんに付き合ってテレビ観戦している内に自然と野球用語や選手の名前が頭に入っていったんだろうね」
「“門前の小僧、ならわぬ経を読む”というやつッスね」

結婚していた時も卓也が野球を見ている場面など見た憶えがない。希美は問いかけるようにムンクを見た。ムンクは肩をすくめただけだった。
彼女に落ち度はなかった。希美の命令通り、マミの行動履歴の中から“卓也とマミが接近している部分”だけをピックアップして見せていただけだった。
卓也が野球に興味がない事はマミも承知していた。ただ盛り上がっている時に声をかける相手が欲しくて卓也を付き合わせているだけだった。別の席で彼が本を読んでいようとノートパソコンに向かっていようと一向に気にしていなかった。
だから二人が膝を並べて観戦する事は、希美に監視される前も後も、一度もなかった。それ故希美は卓也が野球を観戦している事を知る機会がなかった。
もっとも希美自身、野球に興味がなかったから、中継が始まる前にさっさと自分の部屋に籠もってしまったせいもあるが。

「・・・じゃ、行って来るよ。リップ君、ムンクさんをよろしく頼む」
「待って・・・あのさ卓也・・マミから連絡はあった?」
「ん? ああ、あったよ。向こうでは特に変わった事はないようだけどね、今のところは」
「・・私の事は・・何か言っていなかった?」
「いや?・・・これといった事は何も聞いてないけど?」

厳密に言えば、無くはなかった。早乙女和也の住むアパートで希美によく似た女性に会ったとマミは言っていた。
卓也もその女性の事は知っていた。確かに似ていなくもないが、はっきり言いきる自信はない。第一マミの言っている“似ている”というのは容姿の事なのか性格の事なのか、卓也は聞きそびれていた。
希美にわざわざそこまで話す必要はなかろうと卓也は思っていた。マミの“最後の行動履歴”の事は時を改めて聞いてみる事にした。


卓也と別れた後、3人はメンテナンス課に向かって歩き出した。

「あれでよかったのか? まだ言いたい事があったんじゃねぇの?」

マミが戻ってきたら改変したプログラムを元に戻し、10年間の監視も打ち切りにする――卓也にそう告げるつもりだった。だが野球の話でなかば気を削がれてしまった。
どのみちマミが無事に戻ってこなければ話にならない。リップの問いかけに希美は黙ったままだった。

「それにしてもマミ、マミ、マミか・・・妬けるねぇ」
「何がよ・・」
「俺らやムンクさんには言わない様な事もマミさんには言えるんだろ?」
「・・・・・」
「オフクロがさっき通用門の詰め所に寄っていた時にムンクさんと話していたんだ・・彼女言っていたぜ・・マミさんとやり合っている時のオフクロって、技術者やご主人様の仮面をかなぐり捨てて、フツーのオバさんになっているってな」

希美はムンクを横目で睨んだ。ムンクは顔を赤らめてうつむいた。

「私・・・そんな言い方してません・・」
「構わねぇって。似たようなモンだよ。でもマミさんみたいな人がケンカ相手になってくれてるってのはいい事だと思うよ。それだけ気にかけてくれてるって事だろ? それでなくたってオフクロ友達いねえんだから」
「大きなお世話よ」

それが嫌だった。人に心を開けない自分を相手にしてくれるのは機械人形ばかり――その事実を認めるのが嫌だった。
だがマミの言う通り、仕事の上ではそれなりのつき合いはしているが、卓也に限らず他の者にも距離を置いているのは確かだった。その一方で人の助けを当てにしている――。
希美の母親もそういう人間だった。自分の思い描いた事だけを正しいと信じ、その障害になるものはたとえ夫や希美でも切り捨ててきた。
施設に身を寄せていた希美を引き取ったのは仕事が軌道に乗り余裕が出来た事もあるが、世間受けを気にしたという側面の方が強かった。
希美がその事を知ったのはずっと後になってからだったが、それが分かっていても希美は母親に倣[なら]うしか道はなかった。母親以外に生き方を示す存在を見いだせなかったことが希美のつまずきの始まりだったのかも知れない。
マミのプログラムを元に戻す気になったのは既に勝負がついている事を悟ったからだった。ただし卓也ではなくマミとの。卓也を看取るのが自分の最後の仕事とマミは言った。
とてもかなわない。覚悟が違う。負けを認めるほど素直ではなかったが、負けているのを自覚できないほど希美は幼稚ではなかった。卓也の側に居続けるのにふさわしいのはマミの方だった。
人間に仕えるのがCBDの務めだが、マミの言ったような事までプログラムされている訳がない。卓也の元へやってきた時、新規の身であるにも関わらずマミは自発的にそう言ってのけた。
マミの身体が当時新品だったのか中古だったのか、希美は知らない。だが卓也に出会った時マミの中にあった――あるいは芽生えた――何かがそれを言わせたのだ。自分の人生は自分のものと思っている希美には出来ない決意だった。
プログラムを元に戻せば卓也は――そしてマミは許してくれるだろうか。希美にはそれが気掛かりだった。

「責められる方がまだ気が楽です」
「えっ!?」

出し抜けのムンクの言葉に希美はたじろいだ。ムンクは歩きながら構わず続けた。先程のバツの悪そうな表情は既にない、いつも通りのムンクだった。

「わだかまりを残したまま放りっぱなしにされる方がつらいです。ご主人様は私のした事が気に入らない時、かんしゃくだけ起こして責める言葉を飲み込まれます。そしてずっと後になってその事を蒸し返されます」

どうやら自分と希美の事を言っているようだが、悪い意味で絶妙なタイミングだった。何故ここでそんな話を切りだしたのか。

「おこがましい言い方なのは承知しています。でもバックアップを取るとはいえ、私が今の私のままご主人様と大事な話の出来る、最後の時かも知れませんから」

その言葉に希美は既視感を憶えた。歩くムンクの横顔にマミのそれが重なる。希美は歩みを止めた。行き過ぎた二人のCBDがそれに気付いて振り向く。

「どしたの、オフクロ」

怪訝[けげん]そうな顔をするリップ。ムンクは黙って希美を見つめている。希美もまたムンクを見つめ返した。
よもやムンクに――CBDに小言を言われるとは。いつもなら気にくわないと思うシチュエーションだが、しかし今は素直に受け入れる気になれた。

「・・ずっとそんな気持ちを抱いたまま、黙って何年も私に付き合ってくれていたのね・・・確かに言うべき時に言わないのは私の悪い癖だわ・・・ごめんなさいムンク・・」

気にかけていなければ叱ったり助言してくれたりはしない。まして一生かけて見守る事など――。
いまや人間よりも機械人形の方がそういう意志を――それがプログラムされたものにせよ――強く示せるというのは皮肉な話だ。
マミが卓也にとってどういう存在なのか。マミ、リップ、そしてムンク――CBD達が自分に対してどんな存在であろうとしたのか、希美はここに至ってようやく理解した。

「・・・いえ、恐れ多いです・・・」
「おおう、オフクロがムンクさんに謝ったぞ。滅多に見られるモンじゃねぇよなぁ。目の保養になるわぁ」
「・・あんたはクソして寝なさい」




「メイ・・・メーイィ?」

20世紀、もみじ山市。アパートの自室の玄関で早乙女和也はCBDメイの支度が終わるのに待ちくたびれていた。
メイは玄関横の風呂場の鏡の前で首のリボンを整えている。今日は二人がデートに出かける日だった。マミが商店街の福引きで当てた遊園地の招待券を二人に与えたのだ。

「ハイ、もう少しですからっ」

焦るメイの肩を後ろから来たマミがそっと抱いた。

「慌てなくていいわよ・・想い出、メイっぱい作ってらっしゃい」
「ハイッ」
「・・・あまり時間がないんだから・・・」
「?」

鏡の中で、真顔で意味ありげな言葉を口にするマミに怪訝そうな顔をするメイだが、和也にせかされて再び身支度に没頭する。
部屋に戻ったマミは、窓の外の大家の家を見た。和也の部屋の窓とハシゴで繋がっている二階の部屋を。
世話になっている大家によれば、メイにライバル心を抱いているらしいその部屋の主は、自宅にあるありったけの抽選券や補助券をかき集めて福引きに挑み、遊園地の招待券を手に入れようとしたらしい。
彼女は招待券の代わりに大量のポケットティッシュを抱えて帰ってきた。

(普通にデートに誘えば済む事なのにねぇ・・本当、誰かさんも誰かに似て不器用なんだから・・・)

「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」

和也とメイを笑顔で見送るマミ。しかし胸の内では決して笑ってはいない。
マミには予感があった。“その時”はすぐそこまで迫っている。だから卓也への定時連絡も、わざと入れていなかった。

「さぁて、ヒマそうにしているCBD[ひと]達には買い物に付き合ってもらおうかしらね・・」

いつ“その時”がやって来るかはマミにも定かでない。しかし座して待っている気もない。今は自分の成すべき仕事に気持ちを振り向けようと思った。


マミには分かっている。いや、マミは信じている。
“あの人”はきっとやってくれると――。


(終わり)




あとがき

いかがだったでしょうか? 
しんどかったですか? そうでしょう、私もしんどかったです。
勘違い野郎である事は自分でも分かっています。でもね、「大人の女性」であるマミさんを描いてみたかったから。
読む人達にはどう受け取られたのでしょうね。
では、締めにいつもの言葉を。
「この物語はフィクションです」。はい。

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