MISSING WORD 第6話 「マミの遺言」


午前6時15分。朝日に照らされるビルの谷間の幹線道路を一台のスクーターが矢の様に走っていく。
ハンドルを握っているのはメイド姿のCBDムンク。無茶な右折をかけてくるタクシーをかわし、どこかの酔漢が吐き散らした吐瀉物[としゃぶつ]を避けながら約束の場所を目指す。
ムンクは元は希美の母、八神亜由美の所有物だった。彼女の死後、希美が家財道具と共に売り払ってしまったのだが、その後希美はマミの行動履歴を取得する手段が必要になった。彼女はムンクの事を思い出した。
サイバーダイン・USAに問い合わせると奇跡的にムンクは売られずに残っていたので買い戻す事にした。取り寄せる為の輸送費はかかったものの、記憶消去の必要はなかったので余分な手数料をカットする事で差し引きゼロに出来た。
メイドタイプのムンクを必要としたのは自分の身の回りの世話をさせる為でもあったが、日本で生産されているメイドタイプのCBDは何故かメイやマホの様に世話焼きで口うるさい者が多く、それらは希美の好みではなかった。
フィンランドで製造された欧米スタイルのメイドであるムンクは主人の命令第一で余分な口も聞かなかった。それに母に仕えていたムンクなら気心も知れているし、新規購入したCBDの様に“しつけ”の必要もない。
希美の元に届けられるなり、ムンクはマミというCBDから彼女の行動履歴を受け取るよう命じられた。彼女は何も言わず何も聞かず、命令を実行し続けた。
だが当然の事ながら何も言わないからといって何も考えていない訳ではない。かつての“希美お嬢様”が、わざわざ買い戻した自分に何故こんな運び屋みたいな事をさせるのか、ムンクは理解に苦しんだ。
おまけに彼女が人目を忍んで持ち帰った映像データを希美はいつも不愉快そうに見ている。口にこそ出さないが、見るのが嫌ならやめればいいのにとムンクは思っていた。
ムンクはその疑問をマミにぶつけた事があった。マミはこんな話をした。

「希美さんも寂しいのよ。かつて仕えていたあなたを呼び寄せたのもそう、卓也さんと私の事を監視したいというのも卓也さんとの繋がりを持っていたいからじゃないかしら?」

マミの言葉にそういう考え方もあるのかとムンクは思ったが、しかしそれは買い被り過ぎだろうと彼女は言った。希美のしている事は二人に対する嫌がらせとしか思えない。これは寂しさを紛らわすにはふさわしくない行為だと。

「確かに嫌がらせでしょうね・・・でも希美さん、知りたがっているんだと思うわ。私達がどういう関係でいるのか・・・多分、想像していたものとは違って見えているはずよ」

残念ながらそれはないとムンクは言った。希美は映像に込められた言外の意味をくみ取っていない。義務的に眺め、一人で勝手に不快な気分に浸っていると。
マミが不思議そうな顔をしたのでムンクは自分にはそれが分かると言った。彼女の身体には医療用に開発された高感度のバイオ・センサーが組み込まれている。脳波、体温、呼吸等のデータを読み取り、そこから人間の心理状態を推測してそれに適した対応をする様プログラムされている。
マミの行動履歴を見ている時の希美から感じられるのは――好奇心、苛立ち、嫉妬、怒り、悲しみ、不信感、そして――卓也が痛い目にあっている時の暗い喜び。
ムンクの言葉にマミはしばらく考え込んだ後こう付け加えた。

「私達は私達の役目を果たすだけ・・・どんな答えを出すかはあの二人の問題よ。でも・・じれったいのは確かよね」


あの時のマミの悲しげな表情をムンクは未だに忘れられない。本人の顔は伺えないが、行動履歴の中での希美に挑発的な態度を見せるマミとは違う一面だった。
あれからどれほどの月日が流れたのか。3人ともこんな関係を当たり前のように続けている。しかしこのままでいい訳がない。これは勝者なき戦いだ。勝っても負けてもしこりが残るだけだ。
おそらく希美は卓也の気を引きたかったのだ。結婚した以上はマミだけでなく自分の事も見て欲しいと。だが気持ちのすれ違いが必要以上に話をこじれさせてしまった。
卓也とマミは希美の考えているような関係ではないとムンクはにらんでいる。そうでなければ卓也はとっくの昔に土俵を割っている。
それに希美は卓也を見くびっている。彼女に監視される生活をこの5年間耐えたという事は、残りの5年間も耐えられるはず。そうなれば長期戦でダメージを受けるのは希美の方だ。10年という歳月は人間の女性にとってあまりにも重い。得るものよりも失うものの方が多いはずだ。それにはおそらく――卓也も含まれる。
余計な口を利くなと命じられた故、それに従い今まで黙っていたが、仕える者としてそろそろ主人に一言いわなければならない。ムンクはそう思った。たとえその為に希美の元を追い出される事になっても。
そしてもう一つ、マミに確かめなければならない。最後になるかも知れない今――希美に何か伝える事はないかと。ムンクは昨夜の電話の内容を聴いていた。これは3人にとってのターニング・ポイントになると彼女は感じていた。
大通りとの交差点に差し掛かり、ムンクは車体を限界まで寝かせて左折する。路面に接したスタンドから火花が飛び散る。
やがてムンクはスクーターを会合場所――路面電車の停車場のそばに止めた。停車場のベンチに一人すわっていた着物姿で金髪碧眼の女性が彼女の方に振り向いて微笑んだ。

「あらあら、約束よりきっかり5分早く着いたわね〜」

ムンクはマミの前に立つとゴーグルを首の方に下げて口を開いた。

「・・お話があります・・・・・」



卓也が目覚めた時、既にマミの姿はなかった。彼女の布団も片づけられ部屋の中はいつも通りになっていた。
いつも通り――の筈なのにマミがいないというだけで部屋の中はひどく虚ろに感じられた。

(・・本当に何も言わずに行ってしまったんだな・・・)

そう思うと共に、卓也の中に希美をなじる気持ちが生じる。夕べの彼女の電話さえなければムンクに会う為にマミが早く家を出る事もなく、別れの挨拶を交わす時間も持てたかも知れないのに・・・。
いや、違う――と卓也は思い直す。希美のせいではない。おそらくマミは最初から黙って行くつもりだったのだろう。別れの挨拶を交わさない為に。自分としても彼女を見送るのはつらいものがあったはずだ。
しかし、いざその時が来てみるとあまりにも素っ気ない気がした。彼女が黙って行ってしまったのはもう一つの理由があったからではないのか。

 “バカ”

昨夜のマミのつぶやきを卓也は思い出す。あの状況での女性の口から出たその言葉にどんな意味がこもっているかは卓也にも分かる。

(マミさん・・やっぱり起きていたのかな・・・確かに僕は大バカ者だ・・彼女に恥をかかせてしまって・・・)

今となってはどうにもならない。寝ぼけているのか本当に起きているのか分からなかったし、第一あの時の頭の片隅には希美の“視線”を気にする気持ちがあった。
卓也は寝室を片づけた後、居間へ、そして食堂へ向かった。どちらも寝室同様、虚ろな空気に満ちていた。
食堂のテーブルの上に白い布巾を掛けた皿があった。布巾を取ってみると海苔を巻いた握り飯が5個のっていた。皿の脇には一杯分のみそ汁の入った小鍋が置いてあった。自分で温めて飲めという事か。

(あーあ、やっぱりマミさん、怒っているよ・・・)

ほっとするのとガッカリするのとがない交ぜになった複雑な気持ちだった。みそ汁は仕方ないとしても皿一枚分の朝食というのはあまりにわびし過ぎる。卓也に作る最後の朝食かも知れないのに。
みそ汁を温め直し椅子に腰掛けて皿に向かった時、卓也は皿の下に紙切れがのぞいているのに気が付いた。皿を退けてみると手紙が入っているらしい封筒が出てきた。

(何もこんな目立たないところに置かなくたって・・・)

胸の内でぼやきながら卓也は封を切った。手紙を取り出し開こうとする手が緊張する。夕べの恨み言が書いてあったら食欲をなくすかも知れない・・・。
ビビるな。書いてあってもその時はその時だ。卓也は手紙を開いた。ざっと斜め読みしたところ、恨み言らしきものは見あたらなかったので卓也は安堵した。

  『グッモーニン・卓也さん。ちゃんと起きられたかしら? 私がいなくても万年床にはしないでね。
   朝食、これっぽっちかと思っているでしょうけど、この方が余計な洗い物をしなくて済むでしょ?
   それとちょっと手紙が読みづらいかも知れないけど御免なさいね。希美さんに見られないように目
   をつぶって書いたから・・・』

(それで皿一枚か・・でも僕にだって一人暮らしの経験はあるんだから、そんなに気を使わなくていいのに)

便せんの罫線に対して文章は若干傾いて書かれている。しかし気になる範囲ではない。文字も活字のように綺麗だ。

  『・・私が無理を言って和也さんの所に出かけて、あなたは戸惑っているでしょうね。本当に御免な
   さい。サイバドールにあるまじき行為よね。でも私、どうしても和也さんの所に行かなければなら
   ないの。和也さんがウィルス事件を解決する鍵を握っている・・・そんな気がしてならないの。
   過去の人である和也さんにそんな事が分かるのかと思われるでしょうけど、女の勘がそう訴えてな
   らないのよ・・・。どうかしていると卓也さん思うかも知れないけど、今はそうとしか言い様がな
   いの。何か手がかりを掴んだらそちらに伝えるわ』

(和也殿が?・・・我々でさえ手こずっているのに彼に何が出来ると言うんだ?・・・待てよ・・和也殿とウィルス・・まさか・・いや、そんな事はあり得ない・・彼がそんな事をするはずがない・・・)
(それにしても女の勘か・・。CBDにそんなものが備わるだろうか・・? 過去の経験に基づいて未来予測をするというのはあるだろうが、この場合はそれには当てはまらないだろうし・・・)

  『そしてサラさんもそうだけど・・・私からの定時連絡が途絶えたら、向こうでも非常事態に陥った
   と思ってちょうだい。出来ればそれまでにウィルスを退治する方法が見つかっていればいいんだけ
   ど・・・大丈夫、バックアップはマザーに預けてあるから機能停止していても回収さえしてくれれ
   ば、また元に戻れるわ。だからあなたはウィルス対策チームやミル先生の応援をしてあげて。
   もっとも、もうすぐ査問会なのよね。この非常時に馬鹿げた事をすると思うけど、会社としては仕
   方がないんでしょうね。当事者の私がこんな事を言うのも何だけど、あなたの仕事に支障の出る処
   分が下されないことを祈っているわ』

卓也は握り飯を一つ掴んでその後に続く文を読んだ。斜め読みをした時に引っかかりを憶えた部分だった。

  『・・希美さんの事だけど、私がいなくなれば何も問題はなくなるのよね。さっきバックアップがあ
   れば元に戻れると書いたけど、その事にはこだわらないで。私がいなくなる事で丸く収まるのなら
   わだかまりを捨てて仲直りしてあげて。今のあの人にとって、一番信頼できる人はあなただけなん
   だから・・もっとも希美さんの事だから、あなたが歩み寄っても素直には振る舞わないでしょうね。
   世話が焼けるにも程があるわ・・・だから私の事は気にしないでいいわ。ご主人様の側にいられな
   くなったら黙って保管庫に入って次のオーダーを待つ・・・それがサイバドールの宿命だもの。

   でも・・・本音を言えば私、まだ死にたくない。ウィルスなんかに負けたくない。もっと生きて、
   卓也さんにお仕えしたい。家のお掃除をして、卓也さんの服をお洗濯して、卓也さんに美味しかっ
   たよと言ってもらえる様なお料理を作りたい。最後の仕事も』

手紙は何故かそこで終わっていた。
卓也は握り飯にかぶりついた。中身は紀州梅。種は抜いてあった。一口かじるごとに塩味がきつくなる感じがした。
このままでは終われない。弱気になんかなっていられない。マミは信じている。卓也が自分を助けに来てくれると信じている。その信頼に応えなくてどうして男でいられようか。
何としてでもあのウィルスを撃退する方法を見つけてやる。マミだけでなく全てのCBDを発症の不安や苦しみから解放してやる。

(そうだとも・・・やってみせる・・あのウィルスをこの世界から消し去ってやる・・・そして必ずマミさんを元のマミさんのまま、ここに連れて帰るんだ・・・おにぎり、美味しかったよと言ってあげる為にも・・・)



出勤前、鏡台の前で化粧をしている希美の元にムンクが電話の子機を持ってやってきた。マミからだった。ムンクは希美の後ろに立ち、子機を耳元に寄せた。

『ハローォ、希美さん? ムンクさんに渡したビデオ見たかしら?』
「ムンクがせかすから仕方なくね・・・まったく、悶絶する卓也の姿なんて朝食時に見るもんじゃないわ。笑い過ぎて吐きそうになったわよ。あんた今どこにいるの?」
『サイバーダイン社の航時施設エリア・・開店前の行列の先頭よ。その様子だと楽しんでいただけたかしら? 他人の不幸はハニーテイストだものね』
「卓也の所わね。後は何よ。あいつに抱きついたり手を握ったり、少女マンガじみた事して・・特に最後の方は何? あんたワザとやってたでしょ」
『あらあら、見抜かれちゃったわねぇ。そ〜なの、私が誘い水をまいたのに卓也さんたらカチンコチンになって見向きもしないのよ。つれないわよねぇ』
「あきれた・・はしたないCBD[おんな]ね。恥を知りなさい」
『でも、分かったでしょ。あの人はああいう人なのよ・・・だからさっさと見切りつけた方が賢明よ』
「・・・どういう意味よ」
『あの人は女心も分からない朴念仁[ぼくねんじん]だって事よ。彼が振り向くのを待っているより新しい出会いを探したら?』
「・・・あんた、そんな嫌味を言う為にあんな事した訳? 卓也が知ったら泣くわよ」
『人間のフェミニストがどう言おうと若さと美しさは女の武器よ。しけない内に使わないと売り時を逃す事になるわよ』
「大きなお世話よ。あんたこそ自分のマスターを悪し様に言うなんてどうかしているわ」
『・・・これもあなたの仕掛けたプログラムの内よ・・』
「あんた・・・やっぱり、その事を根に持っていたのね」
『当然でしょ。あなたにダマされて頭の中をいじられて・・・そのせいで私、卓也さんを随分ひどい目に会わせてきたわ。“自分の意志”でそれをやっていたのよ。人間の様に魔が差したなんて言い訳できないのよ』
「大したモンじゃない。あんたは世界でただ一人、早乙女卓也をいたぶる事ができるサイバドールなのよ。誇りに思いなさい」
『そう言ってもらえて光栄だわ。で、脳外科手術を施したあなたの真意をお聞きしたいんだけど?』
「今更何よ・・・まぁいいわ。久しぶりに会ったあいつはあんたにチヤホヤされてすっかり人形バカになっていたわ。私の事が目に入らないくらいにね・・だから女はそんなに甘いものじゃないって思い知らせたかったのよ」
『成る程ね・・でも、そのプログラム改変のせいで卓也さん、いま窮地に立たされているわ』
「あんたのせいでしょ。会社の決めた事に口出しするから・・・自業自得よ。ウィルス対策だってあいつがいなくても何とかやっていくわよ」
『そうね・・でもまとめ役の彼が遠ざけられたら現場の志気は確実に落ちるわ。ウィルス問題の解決は遅れ、その間に大勢のCBD達が倒れ続ける事になる・・・』
「そして社会的信用を失ったサイバーダイン社は潰れる。まあ、会社更生法の適用を受ければ退職金を出す余裕くらいは出るかもね」
『人ごとみたいに言わないで。それよりあなた、大切な事を見落としているわ。潰れる前に大手企業に身売りするという選択肢もあるのよ。例えばドール・コムとか』

ドール・コム。その名を聞いてファンデーションを塗る希美の手がぴたりと止まった。希美がかつて籍を置いていた、苦々しい記憶の残る企業の名前だった。
迂闊[うかつ]だった。何故その可能性を考えなかったのか。

『サイバドール開発部には向こうの社内体制に嫌気がさしてこっちに転がり込んできた人達もいるわ。もしサイバーダインが吸収合併させられたらその人達はまたドール・コムに戻る事になる。あなたも含めてね』
「・・・・」
『その人達の立場は苦しいものになるでしょうね』
「・・・どうしろって言うのよ」
『卓也さんをホームに帰す為に犠牲フライを打つ気はない?』
「私に査問会で証言しろって言うの? あんたがおかしくなったのは私のせいだって? 冗談じゃないわ!」
『随分ときっぱり断るわねぇ・・・会社の危機を救えるかも知れないのに』
「どうせ卓也の処分のお膳立ては整っているのよ、私が証言したって何も変わりはしないわ!」
『・・誰も助けようとしない人が誰かから助けてもらおうと思っているなんて虫が良すぎると思わない?』
「誰が助けを求めているっていうのよ!」
『希美さん、卓也さんを当てにしているくせに卓也さんを遠ざけているでしょ。都合のいい関係ね。嬉しい事にあの人はそれについて無批判だし』
「だから・・・何よ」
『ずっと考えていたのよ・・何故あなたがそういう性格になったのか・・やっぱり人生のどこかでつまずきがあったからかしら? でも挫折の思いは卓也さんにもあるわ。私にもね』
「精神分析のつもり? ごめん被[こうむ]るわ。ムンク、電話を切って」
「・・・最後まで話を聞いてあげて下さい」
「あんたっ・・私の言うことが聞けないの!?」

希美は鏡の中のムンクを睨み付けた。信じられない事にムンクはそっぽを向いた。希美の声など聞こえないと言わんばかりに。

『希美さん、いいからそのまま聞いて。私にはもう時間がないの。あなたを相手にできるのもこれが最後かも知れないのよ』
「そんな事頼んだ覚えはないわ! さっさと行きなさいよ、早乙女和也の所に!」
『・・ウィルスのせいで私、死ぬかも知れない。そうなったら卓也さんにお仕えする事も出来なくなるわ。私の最後の仕事も果たせない・・・』
「何よ、最後の仕事って」
『卓也さんのお葬式を出す事よ』
「!!・・・」
『もちろん、ずっとずっと先の事よ・・・卓也さんのお弔いをして、家の事を片づけてから・・私はCBDの保管庫で眠りにつくの。そうするつもりだったわ』
「・・・どうかしているわ・・卓也がそんな馬鹿げた話を受け入れると思うの!?」
『だって私、初めて卓也さんの元に来た時に話したもの。あなたを看取る事ができるくらい末長くおそばに置いて下さいって。彼はブラック・ジョークだと思ったらしいけどね。今はどうか知らないけど』
「・・・・」
『本来ならあなたに頼める仕事じゃないわ。あなたが彼より先に死なないって保証はないもの・・でも、もし彼とよりを戻したいという気持ちがあるのなら、そこまで覚悟を決めて。そしてあの人の力になってあげて・・』
「それは無理よ・・・私にはあいつの力になる事なんか・・・それに私には私の人生があるのよ・・卓也の最後を看取る為に生きるなんて・・できないわ・・」
『・・そうね・・今時の人間の女性にそんな頼み事をするのは御法度よね・・・。査問会の事はともかく、卓也さんとの関係をどうするかはゆっくり考えて。それじゃ私行くから』
「マミ! そこまで卓也の事を考えているなら何で早乙女和也の所に行こうとするのよ? 彼に会うことに何の意味があるの?」
『そうね・・こういえば納得してくれるかしら? 彼は卓也さんのご先祖様であり・・CBD[わたし]達の“心”の設計図を作った人でもある・・・でも一番の理由は・・和也さんが可愛いからよ』
「・・分からない・・あんたって人が分からないわ・・・」
『・・・私はずるいCBD[おんな]だから・・あなたや卓也さんにも隠している事、いっぱいあるのよ・・・じゃあね。ムンクさんによろしくと伝えて』
「待って!・・・最後に一つだけ聞かせて・・さっき挫折って・・あんたみたいな女が何に挫折感を憶えたというの?」

マミはわずかの間黙り込んだ後、口を開いた。

『あの頃のあなたに認めてもらえなかった事・・そしてあなたと卓也さんが別れるのを止められなかった事よ。もし二人の間に子供が出来たなら、喜んでお世話させてもらおうと思っていたのに』


マミとの通話が切れた後、希美は懐中時計を差し出して出勤を促すムンクを部屋の外に出し、鏡の前でうなだれていた。
マミが自分から進んで希美と卓也がやり直すきっかけを作ってくれたのに、自分はそれを拒否してしまった。
奪われ、裏切られる側だった自分が裏切る側にまわろうとしている。自分に居場所を与えてくれたサイバーダイン社を。そして形はどうあれ自分の身を案じてくれていたマミと卓也を。
その事実に希美は途方に暮れていた。
希美の部屋の前でムンクは主人の命令を待って立っている。自分に代わって希美をいさめる役を引き受けると言ってくれたマミに詫びながら。


(続く)


あとがき

いよいよ次回で完結です。
それにしても話数は少ないのに「FACE TO FACE」よりもしんどかった気がする。何でだぁ?


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