MISSING WORD 第4話 「前兆」 (前編)


(誰かいる・・・)

人の気配を感じてCBDミルは目を覚ました。横になっていたソファの背もたれが視界に入る。いつの間にか寝入っていたらしい。体内時計の表示は午前0時を回っていた。
頭を起こそうとすると、体にソファの背もたれに掛けておいたはずの白衣が掛かっているのに気が付いた。

「どなた?」

頭を巡らすとデスクの一つに陣取ってパソコンをいじっていた者が顔を上げた。

「あ、起こしちまいましたか? すみません」
「・・・・リップ? 何しているの?」
「補充要員のリーフにインストールする業務用プログラムの作成でさ」
「そう・・・ところでこれを掛けてくれたのはあなた? 有り難う。でも・・・」

ミルはソファに座り直しながら掴んだ白衣を掲げた。

「CBDの私にこんな事しなくても風邪なんかひかないわよ。第一、普通上半身に掛ける物が何で下半身に掛かっている訳?」
「いやぁ・・・ミル先生のピッチピチに張りつめたスカートの腰のラインが目の毒だったものでね・・ちょっと目隠しさせてもらいました」
「・・・そういう台詞は人間の女性に対して言いなさい」

そう言いながらミルは頭を左右に振った。寝起きが悪かったのか、頭の中に血の臭いを感じた。

(血の臭い?)

妙な感じだった。確かに職業柄、血の臭いは嗅ぎ慣れているが何故CBDである自分の頭の中にそんな物を感じたのか。状態チェックをするとデフラグは掛かっていなかった。それによる記憶の混乱かも知れない。
自分の考えに気を取られていたミルはリップが何かを話しかけているのに気付いたが内容は頭の中に入っていなかった。

「何?」
「いや、だから誉め言葉のつもりで言ったんスよ。俺の名前はリペア(修理)が由来だけど、“リップ・サービス”のリップでもあるから」
「リップ・サービスという言葉は悪い意味で使うものよ」
「そうなんスか?・・・それにしても妙な話っスよねぇ。例の感電事故を起こしたリーフの事なんだけど。先生“検死”したんでしょ?」
「ええ・・・感電の過負荷によるデータ破壊が機能停止の原因らしいんだけど・・・それが不自然なのよね・・・」
「俺もそう思いました。外部からの過負荷があればシャットダウン機構が働くはずでしょ? “気絶”はしても“感電死”はする筈ないんだよなぁ」
「不自然なのは場所もそうなのよ。彼女の上司・・・清掃課の課長の話によれば、彼女が発見された非常用発電施設内は彼女の担当区域ではないと言うの。何故そんな所にいたのか・・・」
「それは俺も聞いたっスよ。おまけに彼女が倒れていた場所って巡回の警備員の目に付きづらい所だったんでしょ? 感電してからそんな所に移動する事なんて出来ますかね?」
「普通はあり得ない・・・でも開発初期には落雷の直撃を受けてもデータ破壊を起こさず、皮膚と髪の毛が焼け焦げただけで済んだCBDもいるわ」
「CBDアルの事っスね・・・彼女は今や伝説のCBD[ひと]ですよ」
「たまたま運が良かっただけだと思うけど。でもその時のアルの仕様が今のCBDの感電防止策のベースになっている訳だから、伝説のCBD扱いされるのもむべなるかなね」
「そのアルの流れを受け継ぎ、“リーズナブル&タフ”をテーマに開発されたリーフが感電死なんかしますかねぇ・・・」
「・・・何か異常事態があった、としか言い様がないわね・・今は。ところで何故リーフの話なんか持ち出したの?」
「あっそうだ、コレの事を言おうとしてたんスよ」

リップはそう言って制服のポケットからメモリー・スティックを取り出した。

「同型のリーフからこれを預かったんですよ。何でもその事故死したリーフの“形見”だとか・・・」
「何ですって?」

ミルはやおら立ち上がるとリップのそばに寄ってきた。

「何が記録されているというの?」
「知っているらしいんだけど、言おうとしないんスよ。これの解析が済んだら後で全てを話すと・・・それと、人間には確実に信用できる者以外、秘密にしてくれと言われました」
「全てって、まさか感電事故の真相の事? ますます妙な話ね・・・」
「事情はともかく、ミル先生なら適任かと思って・・・」
「ちょっと待ってよ、私だって暇じゃないのよ。資料室にこもっているからって油売っている訳じゃないのよ」
「分かってるけど、そこを何とかお願いしますよ。あのリーフの訴えかけるような目を見たらほっとけなくって・・・」

嫌味かとミルは思った。いつもにこやかにしているリーフの目は細く、その部分だけで感情を読みとるのは難しい。
しかし、そのメモリー・スティックが感電事故の真相の鍵を握っているとあっては放置しておく訳にはいかなかった。

「・・・いいわよ。どのみち“検死報告”の提出もしなければならないんだから、解析して参考資料として添付しておくわよ」

メモリー・スティックを受け取ったミルはソファに戻り、背もたれにかじり付くようにして横座りした。

「・・・全く、どうして次から次へと余計な仕事が入るのかしらね」
「はぁ・・お手数掛けてすみません」

ミルの苛立たしげな言い草に対して、リップは手短に詫びた。
それからしばらくの間リップがキーボードを叩く音を聞きながら、ミルはうなじや頭を掻いたりしていた。

「あの・・・寝なくていいんスか? うるさかったら・・」
「いいから作業を続けなさい」

ミルにピシャリと言われてリップはそれきり黙ったまま作業に没頭した。

(何の嫌がらせよ・・・誰のせいでこんな目に遭わなけりゃいけないのよ)

行き場のない苛立ちがミルの頭の中を責めさいなむ。“あの人”の顔が何度となくちらつく。
ふと目線を下げると、横座りしていた事でタイトスカートがかなり上までずり上がっているのに気付いた。あわててすそを引っ張り下ろす。
視線を感じてミルはちらっとリップの方を見た。こちらを盗み見ていたらしく、彼は慌ててモニター画面へと目をそらした。

(・・・いやらしい男!)

その時ミルに悪戯心が芽生えた。この若い男をからかってやりたいという気持ちが。
余計な仕事を押しつけた代償よ。少しは楽しませてもらわないと割に合わないわ。
でも今は黙っていようとミルは思った。仕事の邪魔をしたという印象を与えたくはなかった。


「ぃよおぉ〜し、出来ましたよぉ〜」

小一時間後、そう言ってリップはデスクの前で大きく伸びをした。

「終わったのかしら?」

ミルはわざと機嫌良さそうに声を掛けた。彼女の顔色を伺っていたリップはその声色に少し安心した。

「いやいやいや、お邪魔してすみませんでした。んじゃ、これで・・」
「少しゆっくりして行きなさいよ・・・そういえばあなた、CBDの女性と付き合っているそうね。誰だったかしら・・・」
「あー・・・配送の所にいるサラって奴ですけど・・銀髪で色黒の・・一番星って言うあだ名の奴ですけど」
「あの人・・・彼女なら二回ほど会った事があるわ。それでどこまで進んでいるの?」
「いやぁ、進んでいるったって、手を握るくらいですよ」
「それだけ? キスとかそれ以上のことは?」
「なっ、何スか? 藪から棒に・・・してないっスよ、キスも何も。俺達CBDには必要ないでしょ?」
「そうかしら? 人間の恋人達はより深いコミュニケーションを求めるものよ」
「人間はそこまで行かないとお互いを理解した気になれないみたいだけど、俺達は手と手を合わせれば済む事だし・・・」
「それであなたとサラは恋人同士と呼べるのかしらね」

このネエさんは何を言いたいんだ? リップはいぶかしんだ。

「言っちゃ悪いけど、人間は気の毒だと思いますよ。そこまで行っても相手を信じられなかったり、深く結ばれていると思っていたのに裏切られたりするんだから」

裏切られる、と言う言葉にミルは胸に何かを刺される様な感覚を憶える。しかし、ひるんだ素振りを見せる訳にはいかない。

「あなたはどうなの? サラより性的に魅力のあるCBD[ひと]が現れたら乗り換える?」
「しませんよ、そんな事。他のCBDの女には興味ないですから。先生も含めてね」

さすがにリップも苛立ってきた。ミルが元医師であるとはいえ、今はカウンセリングの時間ではない。プライベートな部分に踏み込むにも程がある。

「イカした身体をしているから好きになるってもんじゃないんです。俺がサラを好きなのはそんな理由からじゃないですよ。えっと・・何て言えば・・・」
「・・・よくもそんな綺麗事が言えるわね・・・」

ミルはこわばった声音で言った。


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