MISSING WORD 第3話 「にがい蜜月」


時計の針が午後10時を過ぎた頃、卓也の家の電話が鳴った。

「ハローォ? 早乙女です・・・あらあら、希美さん・・待っててね、今代わるわ」

そう言ってマミは電話の子機を卓也の元に持ってきた。今にも死にそうな卓也がそれを受け取る。

「もしもし・・・ああ、のみちゃんか・・・何だい・・今頃・・・」
『何だじゃないわよ! 卓也どういう事よ、マミが旅に出るって』
「旅って・・・何が?・・・」
『ムンクが今日、マミから行動履歴を受け取った時にマミがそう言ってたそうよ!』
「え・・・マミさん・・そういう・・言い方・・していたの・・かい?・・」
『・・・ちょっと・・何なのよ、息を荒くして・・あんた、まさか・・』
「ハァ〜イ、希美さん? 卓也さん、いい汗かいているわよ〜」
『何よいい汗って!? マミ、あんた何やっているのよ!?』
「そりゃモー、牛の様に寝そべっている卓也さんに跨ってギュウギュウに締め上げてやってるんだから〜」
『卓也!!・・・あんた、最後の最後でやったわね!!』
「バッ・・駄目だよマミさん! そんな言い方したら誤解されるよ!」
「あらあら卓也さん、今私の事バカって言おうとしたわね〜?」

マミは先程、指圧をしている最中に見つけた卓也の激痛ポイントをぐいと押した。

「痛いたいたいたい!! 痛いってマミさん! 違うって、そういう意味じゃないって・・・痛ぁーー!!」
「心配しないで希美さん、卓也さん腰が痛いって言うからちょっと揉んであげているだけだから〜」
『・・・何か怪しいわね・・・』
「だったら明日の朝6時半にムンクさんをいつもの場所に寄こしてちょうだい。最新版の“お宝ビデオ”を持たせてあげるから〜。ね、卓也さん?」
「ハァ・・ハァ・・ともかく・・それで・・僕の・・身の潔白は・・証明・・できる・・はずだよ・・・」
『本当でしょうね? 大体マミにマッサージなんて出来るの?』
「CBDチェウニ直伝のオリエンタル・マッサージよ。ヤラれる分、すっごく効くのよ〜」
「お陰で・・商売あがったりに・・なったら・・困るからって・・半月に一度・・彼女の店に・・行く約束・・させられたけどね・・その彼女も・・今は“病院送り”だ・・それより何の・・話だっけ・・?」
『・・・マミが旅に出るって話よ。聞いてないわよ、そんな事。こんな時期にどこへ行くってのよ』
「僕の代理でね・・行き先はちょっと君にも教えられないんだけど・・・」
『・・・・・早乙女和也の所ね』
「ディンド〜ン。よく分かったわね〜」
『卓也の名代で極秘の行き先なんて彼の所しか考えられないでしょ。バカでも分かるわ。査問会が控えているのに、そんな事している暇あるの? ウィルス持ちのくせに』
「のみちゃん! いくら何でも言い過ぎだよ!」
「いいのよ卓也さん、希美さんだって“坊や達”の何人かは病院送りになってしまっているんだから」
『そんな事よりマミ、あんた向こうで発症したらどうするのよ。誰も助けに行けないわよ』

希美の言葉に卓也はハッとした。思わずマミの方を見ようとする。

「振り向かないで!」
「ハイッ」
『何よ、今の』
「何でもないわ。それは覚悟の上よ。それに私が“死ぬ”事になれば証拠隠滅できるでしょ? 希美さんにとっても都合がいいんじゃないかしら〜?」
「マミさん・・・」
『・・卓也・・・あんた、それが狙いで・・』
「そんな訳ないだろう! 僕だってマミさんを失いたくはないよ!!」

思わず怒鳴り、そして卓也は黙り込んでしまった。確かにそれは本心だった。しかしその一方で、このままではマミの発症が避けられない事も分かっている。
それを承知で自分はマミを早乙女和也の元へ送り込もうとしている。今となってはCBDのシステム変化の実証どころではないと分かっているにも関わらず・・・。
電話の向こうは別の理由で黙り込んでいた。やがて希美の方から口を開いた。

『・・マミ、マミ、寝ても覚めてもマミなのね。私がそこを出ていく時も同じくらい熱い気持ちで引き留めてくれたかしら?』
「僕がそうしても、思い留まるような君じゃなかったろう?・・・」
「ハイハイそこまで〜。希美さん、今日は何の用で電話を寄こしたのかしら〜?」
『白々しいわね! あんたがムンクに余計なこと言わなけりゃ、こんな事しないですんだのよ!』
「あらあら、でも黙っていなくなったらあなた、卓也さんが私をどこかの山の中に埋めたんじゃないかと勘ぐるんじゃないかしら〜?」
「よしなさいってマミさん!」
『本当に埋めればいいのよ。その方がこっちもとばっちり喰らわずに済むわ』
「大丈夫ジョブ〜。査問会であなたの事をコンフェッションするほど卓也さんはヤワじゃないわ」
『そりゃどーも。早乙女和也に会ったら伝えなさい。あんたの子孫は真性の人形バカだって』

希美は返事を待たずに電話を切った。卓也は脱力した様に電話の子機を畳の上に転がした。

「あらあら〜希美さん、今の発言、国家機密漏洩罪で死刑ッ!よ。ピタッ」

マミはそう言って両手の指をピストルの形にして構えた。

「・・・もういいよ、どうでも・・・」
「あらあら、もうどうにでもしてって言ったかしら? じゃ後半戦いきましょ〜」

マミは何事もなかったかの様に再びマッサージを始めた。卓也は黙って成すがままになっていたが、ふと先程のマミの「振り向かないで!」という言葉の意味するものが気になった。
卓也は一度も“その光景”を見た事がないのであまり気にしていなかったのだが、マミは着物の裾をからげてうつ伏せで寝ている卓也の尻の上に跨り、彼の腰や背中を押している。
端から見たらその様子はどのように映るのか。行動履歴はCBDの視点の映像データである。マミがもし自分の首から下を見ていたら、そこに映るのは・・・。

(・・・俺・・マミさんにとんでもない格好させているんだ・・・)

何よりマミは明日その映像データをムンクに渡すのだ。それを見た希美はどう思うのか。
マジで希美に刺されるかも知れない。卓也は胃の腑[ふ]が冷たくなるのを感じた。彼女が自分を見失うほど愚かでないと信じたいのだが。
万が一の場合、マミに仕込まれた護身術が役に立つかも知れないが、なるべくならそんなものに頼る羽目にはなりたくなかった。


卓也と希美は高校の同級生だった。当時の彼女は周囲に対して警戒心が強く、クラスメイトとも容易にうち解けようとはしなかった。
ただ卓也に対しては――お互いの将来の夢が同じと知ってからは気持ちを許すようになり、少しずつ自分の事も話すようになった。
実際には卓也よりも1歳年上である事、家庭の事情で施設に預けられていて14歳の時に母親に引き取られた事、等々・・・。
卓也は彼女のそんな過去を自然な気持ちで受け入れていた。恥じる事は何もない、と。
やがて二人は同じ大学の電子工学部に進んだが、希美は卒業を待たずに渡米してしまった。
ロボット開発技術者である母親がアメリカに拠点を置くドール・コム社に招かれ、その手伝いをする為に希美も付いていく事にしたからである。
お互いに思いを残しての別れだったが、それが希美の幸せに繋がる事と信じ、自分は自分の道を歩む事を卓也は決心した。
その後何度か電子メールのやり取りはあったものの、ある時期を境に希美の方の音信がぷつりと途絶えてしまった。

それから6年ほど経ったある雨の夜、卓也の家のドアチャイムを執拗に鳴らす者があった。
玄関に出てみるとずぶ濡れになった見知らぬ女性がそこにいた。いや、見知ってはいたが変わり果てていた女性が。
希美だった。再会を喜ぶ雰囲気ではなかった。招き入れた卓也は彼女に暖を取らせ、温かい飲み物を与えて事情を聞こうとしたが、彼女は何も答えようとしなかった。
そのまま希美を泊めた卓也は翌日、マミに彼女の世話を任せて会社に向かった。
会社の情報課を通じて卓也は、彼女の渡米生活が失敗に終わった事を知った。
彼女はドール・コム社のアンドロイドに使われる新技術の研究成果を開発チームのリーダーに根こそぎ奪われていた。訴訟さえ起こしたものの、結局は彼女の敗北に終わった。
さらに追い打ちを掛ける様な、尊敬していたという母親の事故死――。
失意の内に日本に戻ったものの、父親も既にこの世にはなく、頼れる親戚も友人もいない――卓也を除いては。
その後も卓也の元に居着いた希美は、マミの甲斐甲斐しい世話も受けつけず、荒[すさ]んだ表情のまま日々を過ごしていた。
卓也は時期を見計らって切り出した。サイバーダイン社に来る気はないかと。
ロボット開発には忌まわしい思い出しかないかも知れないが、このまま何もせず油を売っていていいはずはない。今の自分なら希美の才能を生かせる仕事を与えてやれる。
南原社長もドール・コム社のアンドロイド製作のノウハウを身につけた希美を是非、新戦力として迎えたいと言っていると――。
希美は渋る素振りを見せたものの、最終的にはその話を受けた。
希美は男性型CBDの絶対数が不足していることに目を付けた。男性型CBDはその“構造上の問題”から製作を引き受ける者があまりいなかった。
卓也に師事した開発者も、そして卓也自身も男性の体の構造を熟知しているが故に今ひとつ創作意欲が湧かないのだという。
しかし需要がないわけではなかった。それに応えるのも企業の義務だとして、希美は男性型CBDの開発を一手に引き受ける事になった。
会社の期待を上回る男性型CBDの売れ行きの良さに希美は次第に自信を取り戻していった。

程なく卓也は希美と籍を入れた。希美が男性型CBDの身体デザインの研究と称して若い男性社員を食い物にしているという妙な噂が流れていたからだ。
それが真実かどうかは分からなかったが、少なくとも結婚していればその好奇の目の矛先を自分の方に引きつけられると卓也は考えていた。
ただ、そんな後ろ向きな理由は別としても、卓也はこの結婚生活が長くは続かないような気がしていた。
収入も増え、社内でも一応認められる存在になった希美に何が何でも卓也と一緒にいる理由はなかった。
それに彼女はその生い立ち故に、家庭というものにあまりよいイメージを持っていない。
果たして二人の結婚生活は二ヶ月を待たずに破綻した。
しかし希美が別れを切り出してきたのは卓也にとって意外な理由によるものだった。マミが邪魔だというのだ。
家事の一切はマミが引き受けていた。それを希美は卓也が自分に妻らしい事を何も望んでいないという意味に受け取っていた。
卓也は戸惑った。家事をマミに任せておけば希美は仕事に専念できると考えていたからだ。だが確かに希美の言葉にも一理あった。
今の状態では希美は妻というより単なる共同生活者に過ぎなかった。卓也は良かれと思って彼女にした事が裏目に出たことを知った。
彼はどうすれば希美の気に入るように出来るかとたずねた。
希美はとにかく一度別れて欲しい、そして3年間一度もマミに手を出さなければ復縁も考えると言った。
これを聞いて今度は卓也が憤慨した。そういう目的でマミを側に置いている訳ではなかったから、それなら5年でも10年でも様子を見てくれと切り返してしまった。
希美も後へ引く気はなかった。本当に10年間、二人の様子を見ると言って彼女は卓也の元から去っていった。
マミに変化が現れたのはそれからしばらく経ってからだった。卓也に対してしばしばきつい振る舞いをする様になったのだ。
希美が行きがけの駄賃にマミの精神及び行動プログラムに細工を施していた為だった。元に戻す手段は希美の手に握られていた。


マミが卓也を“可愛がって”いる頃、CBDミルはメンテナンス課の事務室にある応接セットのソファの上で横になっていた。
CBD用の宿舎に戻って休む事も出来たのだが、どのみち“急患”があれば呼び出される事になるので、ここで待機している方が楽だった。
しかし人間ほど汚れるわけではないが、さすがに3日も着た切り雀というのは気持ちが悪い。他の職員にもだらしなく思われるかも知れない。
明日の始業時間前には一度宿舎に戻って着替えてこなければ。ミルはそうぼんやりと考えていた。
本来なら今は休眠モードに入りたいところだった。寝ている間に頭の中にデフラグを掛けて、落ち着きを取り戻してからまた仕事に取り掛かりたかった。
そう思っているのだが、思い煩うことが多すぎてなかなか寝付かれなかった。
マミのメンタル・チェックの報告書に所見を書かなければならないのに、他の事に手を取られていて未だに取り掛かれていないし、スイスでの一件も報告待ちの状態だった。
おまけに社内で行方不明になっていて、先頃機能停止した状態で発見されたCBDリーフの“検死報告”まで任されている。
他の職員がウィルスが発症したCBD達にかかり切りになっているのは分かるが、これでは本来の仕事に手を着けられない。
本来の仕事――ミルは思う。そもそも自分の本来の仕事は医者なのだ。何故こんな所にいなければならないのか。
そして更に思う。何故ここへ――サイバーダイン社へ戻る羽目になったのか。何故。

(あの人は私を捨てた・・・)

駄目だ、こんな事を考えていては。ミルは思いを振り払う様に寝返りを打った。


(続く)


あとがき

「この話はフィクションです」。はい、いつもの挨拶はこれくらいにして(笑)。
今回、この作品を書くに当たって一番悩んだのが「マミさんはいつ卓也さんの元にやってきたのか」という事。
その時期によっては結構話の流れが変わってしまうんですよね。
んで、あえて「割と最近」という解釈をしてその方向でプロットを組んでいたのですが、第2話を書いている最中に「いくら何でもそのネタはまずいだろ」という内なる声が高まってきたんですよね。
あれこれ考えたあげく、元のプロットを変更して新たに第3話を書いたのですが、そのせいで第1話の中で話が宙ぶらりんになった部分が出来てしまいました。
どの部分かはあえて書きませんけど、気にするほどのことはないでしょうね、多分。
むしろ作者としては変更したおかげでかえってラストへの流れがはっきりした様な気がします。何が幸いするか分かりませんね。


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