MISSING WORD 第2話 「マミの願い」


午後8時30分。サイバーダイン社・構内。

「あれ? “オフクロ”じゃねぇの?」

そう呼ばれて開発部班長、八神希美[やがみ・のぞみ]は声の主の方に振り返った。
電動カートがユルユルと近付いてくる。

「・・・リップ?」
「やっぱりそうだ。どしたのよ、今頃仕事ハネたってか?」

メンテナンス課職員・CBDリップはそう言って希美の横でカートを止めた。

「別に・・・昼寝して目が覚めたら日が暮れてただけよ」
「こんな時間だ、油断は禁物だぜ。社内にも不埒[ふらち]者はいるんだ・・・通用口まで送ってってやるよ」
「あんた、急ぎの仕事があるんじゃないの?」

希美はそう言ってカート後部の荷台に載っている箱を顎でしゃくった。

「急ぎとは言われているけど、言ってる程急いじゃいねーよ。少しくらいの寄り道なら構わんさ」
「それならお言葉に甘えるわ」

希美が助手席に腰を下ろしたのを確認するとリップはカートを発進させた。

「浮かねえ顔だな。小じわが増えるぜ」
「大きなお世話よ・・・ウィルス騒動のせいでCBD開発作業は軒並み中断・・・それなのに全社員出社なんて馬鹿げているわ」
「連日、通用門の外にマスコミが張り付いているからな。“我が社は全力をあげてウィルス問題の解決に取り組んでおります”って事をアピールしたいのさ」
「そんな小細工が通用すると思っている様じゃ、うちの上層部も大したことないわね」
「それでもウィルス感染の事実をいち早く世間に公表したんだ、よそのリコール隠しがバレて醜態をさらした企業よりはマシだよ。何事も信用第一さ」
「そうかしらね・・・ところで後ろの柩[ひつぎ]には誰が入っているの? ドラキュラ伯爵?」
「人間の男専門の吸血鬼って意味では当たっているかもな・・・CBDリーフだよ。6年落ちの中古だけどな」

希美は長い黒髪を持つ柔和な顔立ちの家政婦型CBDを思い浮かべた。

「もしかして補充要員?」
「ああ、経理のシュウが倒れちまったんでな・・・起動して明日までに使える様にしとかないと。当直は辛いよ」
「そういえば最近、社内で何人もリーフを見かけるわね、いろんな部署で。彼女達も叩き起こされたの?」
「“ドクター・ミル”の提案でね。彼女の様なタフなCBDならこんな非常事態下でも動じる事なく仕事が出来るだろうって話さ」
「・・・そうね・・確かにリーフはタフなCBDだわ」
「ああ・・・いろんな意味でタフだ」
「それにしても、リップがリーフを運んでいるなんてシャレにもならないわね」
「おっ、それは俺に対する挑戦だと受け取っていいんだな?」

リップのその言葉に希美は寝ていた子を起こしてしまった事に気付いた。
このリップは・・・リップ・シリーズ全般に言える事なのだが、ルックスもスタイルも良く、女あしらいがうまくて人間の女性にも結構もてるのだが、一つだけどうにもならない悪癖があった。

「リーフがカラオケを歌っているぞ! 何て曲だ? 松任谷由実の『リーフレインが叫んでいる』!」
「・・・・・」
「んじゃ、もう一発! ・・おっさんおっさん、服も着ないでどこ行くの? リーフが相手じゃなりーふり構っていられねぇ! おっ、これは冴えてんじゃねぇか? どうよ?」
「クソして寝なさい」

希美は呆れたように言った。


同夜、報告書作成の後、早乙女卓也は日記を付けていた。
昔ながらのハードカバー製の日記帳は時代錯誤の様にも思えるが、オンライン接続されたパソコンに比べれば格段にセキュリティ保護の成された記録媒体と言えた。
それに、何事もキーボード入力する時代ではこんな時にでもペンを握らなければ“書く”能力が失われてしまいかねない。

 「・・・マミさんの2000年への渡航申請が今日受理された。明日の朝一で向こうに行くと言っていた。
  昼間、彼女はムンクさんに会って最新版の映像データを渡した様だ。これでしばらくは“彼女”の監視下
  に置かれずに済むと思うと少しは気が楽になっても良さそうだが、それは同時にマミさんがここにいなく
  なる事も意味する訳で、正直、複雑な気分である。
  考えてみれば彼女とここに住む様になってから彼女がこれほど長い間家を空ける事はなかった。会社から
  帰っても――明かりはオートで点くように設定できるとしても、迎えてくれる者は誰もいない。
  ・・・馬鹿げてる。いい歳して何を気弱になっているのか。“彼女”だってムンクさんが来るまでは自分
  で鍵を開け、一人で夕食を作っていたのだ・・・。
   それにしても査問会の事を思うと気が滅入る。マミさんが会社の為を思ってした事なのだ。実際、それ
  で我が社は最悪の事態を回避する事が出来た。ユーザーあっての会社なのだ。その人達をないがしろにす
  るやり方を何故良しと出来るのか、私には理解できない。マミさんのメンタル・チェックにしても本当に
  必要だったのだろうか? いや、“彼ら”にとっては必要なのだろう。私を処分する口実として・・・・」


何故マミがメンタル・チェックを受けなければならなかったのか。話は2週間前にさかのぼる。
この時期、サイバーダイン社には原因不明のまま機能不全を起こしたCBDが何体もかつぎ込まれていた。
精密検査の結果、CBD達の体内に今まで見た事もないタイプのコンピューター・ウィルスが侵入している事が分かった。
CBDにはあらゆるウィルスに対応するワクチン・ソフトが常駐しているのだが、このウィルスはその防壁をものともしない存在だった。
サイバーダイン社にとってこれは社の命運を左右しかねない問題だった。セキュリティや自己修復機能に万全を期していればこそCBDの品質保証も意味を持つ。
それにほころびが生じた今、リコール処理は避けて通れない。世界中のあらゆる場所で活動するCBD達の数を考えると、そのリカバリーの負担費用は莫大なものになる。
緊急取締役会が出した結論は――ウィルスの存在を秘匿し、機能不全はあくまでもユーザーの使用状況に問題があったという方向で処理をするというものだった。
卓也を含め、もちろんその決定に反対する者はいたが、大多数の役員は社に損失を与えない事が何よりも重要であるとして譲ろうとしなかった。
しかし、これに激しく異を唱える者がいた。マミである。
卓也の口からこの事を知ったマミは、その足で社長である南原騰太郎の所へ向かい、直談判を試みた。
マミは騰太郎に訴えた。「敵」――ウィルスを仕掛けた存在の狙いがリコール隠しをさせる事にあるとしたらどうするのか。
そう遠くない時期に「敵」はマスコミにその情報をリークする。そうなったらサイバーダイン社は社会的信用を失うことになる。
社長が土下座して済む問題ではない。最悪の場合、サイバーダイン社は解散、大勢の社員が路頭に迷い、CBD達はライバル企業の管理下に置かれるか、あるいは廃棄処分になるだろうと――。
だから一刻も早く事実を世間に公表し、その対策に全力を注ぐ事を確約して見せなければならない。それが社の命脈を保つ唯一の手段だと。
「敵」の攻撃を逆手に取る――マミはそれを野球のスラングになぞらえて『撃たせて殺[と]る』と表現したという。
マミの鬼気迫る直訴に色を失った騰太郎は未明の内にマスコミに対して記者会見を開き、CBDのウィルス感染の事実を公表した。
案の定、市場は騒然となり一時的にサイバーダイン社の株価は下落したものの、いち早く事実を公表した事が評価され翌日には株価は上昇に転じた。
しかし役員連中にとってこれは面白くない出来事だった。自分達が下した決定事項がその日の内に頭越しに覆されたのである。
追求された騰太郎はそれがマミの直談判に端を発した事を打ち明けざるを得なくなった。
役員の大半はビジネス目的で行政機関と繋がりを持つ為に天下りを受け入れた官僚OBだった。そのメンツを保つ為にも騰太郎はマミの首を差し出すしかなかった。
マミもまた、自分がしでかした行動の意味は分かっていた。サイバーダイン社の特別IDを持つ者として自分の処分を受け入れる覚悟だったが、役員連中は彼女だけでなく所有者である卓也の処分も要求した。
その下準備としてマミのメンタル・チェックを行い、社長に対して身の程をわきまえぬ行動を取ったCBDの管理不行き届きを査問会で追求する事になったのである。


 「・・・私を処分したところで何がどう変わる訳でもない。ウィルス感染の事実をなかった事にするなど、
  今更不可能だ。おそらく“彼ら”は見せしめが欲しいのだろう。自分達に睨[にら]まれたらこの会社で
  はやっていけないという事を周りにアピールする為に・・・。マミさんもあからさまには口にしないが、
  この理不尽なやり方には憤慨している様だ。ミル先生の口癖ではないが、私も嘆かわしい事だと思う。 
  ただ、その事で南原を責める気にはなれない。立場上、彼は彼なりに役員達にいい顔をしなければならな
  い。時空間ビジネスの事、CBDの行政上の扱いなど、“彼ら”の口利きがあればこそ上手くいっている
  部分も確かにあるのだ。査問会では決して悪い様にはしないと南原は言ってくれてはいるが、天秤はどち
  らに傾くか・・・。全てはミル先生の報告書次第だろう・・・」

卓也はそこでペンを止めた。ミルの言っていた“前兆”の事が頭をよぎる。
彼自身、マミのあの振る舞いはウィルス発症の前兆によるものではないかという疑いを持っていた。
実際のところ、あの日マミと騰太郎の間にどんなやり取りがあったのか卓也は知らない。騰太郎もその事については多くを語りたがらなかった。
ただ、騰太郎は――あんな恐ろしい形相のマミは見た事がない――とだけ話してくれた。
あの脳天気な南原騰太郎が震え上がるほどマミは激怒していた。卓也はその事がまず信じられなかった。
確かにマミの胸の内にも怒りの感情みたいなものは芽生える事があるだろう。しかし彼女がそれを露わにする事は今までなかった。
どんなネガティブな感情も「あらあら」の言葉にくるみ込んでやんわりと、そうでなければ少しだけ厳しく――例えば尻を触った騰太郎をしゃもじでひっぱたいて――訴える程度だった。
“前兆”は大ざっぱに言えば感情の抑制が利かなくなる現象であると卓也は考えている。それならばマミのあの行動も説明が付く。
逆に言えば――あれから2週間あまりが経つ――マミはいつ発症してもおかしくない事になる。
彼女は自分の身に何が起きているか気付いているのか。卓也はそれが気がかりだった。
そうなると迂闊に日記に“前兆”の事は書けない。彼女はこの日記を盗み見る事があるかも知れない。
プライバシーに関するものには手を触れない様命じてはいるが、和也の機密ファイルの一件もある。油断は出来ない。
それにハイエンド・モデルやキャリアを積んだCBDは嘘をついたり隠し事をする事が出来る。もちろんマスターの不利益にならない範囲でだが。
その両方であるマミに日記を読んだかと詰問しても素直には答えないだろう。
――サイバドールは人間と共にあるものであり、奴隷ではない。付き合って行くにはそれなりの理性と覚悟がいる――。
卓也はかつて触れた事のあるこの言葉を、改めて噛みしめてみる。


日記を付け終わった卓也は椅子から立ち上がろうとした。途端に腰に激痛が走った。
無理もなかった。ここしばらくデスクワークが続き、お世辞にもスマートとは言い難い彼の上半身を支える腰にかなりの負担が掛かっていた。
そろそろと歩みを進めようとするが、痛みは執拗に腰を含め、彼の背中全体を責め続けている。

(参ったな・・・寝る前にマミさんにちょっとお願いしようか・・・)

彼はすり足で移動しながら書斎を出て居間をのぞいた。しかし彼女の姿が見えない。

「マミさん、いるかい?」
「卓也さ〜ん、こっちよ〜」

彼の寝室の方から声が聞こえた。再び卓也は苦しそうに移動を開始した。

「悪いんだけど・・・ちょっと腰を揉んでくれないかな・・」

そう言って部屋の中をのぞいた卓也はぎょっとした。彼の寝室は畳敷き十二畳間の和室である。
いつもならその真ん中に卓也の布団が敷いてあるのだが、今日は違っていた。その横にもう一組の布団が敷かれていたのである。
マミの物だった。しかし、普段は別の部屋で彼女は休んでいるはず・・・。

「マ、マミさん? これ・・・」

卓也がそう言って後ずさると、ポンと彼の両肩に手が置かれた。振り向くと姿の見えなかったマミがいつの間にか後ろに立っていた。

「あらあら〜、驚いたかしら〜?」
「お、驚くも何も、これじゃまるで・・・」

卓也が部屋の中に向き直った時、マミは彼の腰を抱え込む様に両手を前に廻した。

「・・マミ、さん・・・」
「・・・・ここへは生きて戻れないかも知れないから・・今夜だけは一緒に居させて・・・」

卓也の後頭部に自分の額を預けながら、マミはそう言った。

「・・・知っていたんだね・・自分の身に起きた事・・・」
「“前兆”ね・・・ミル先生から聞いたわ・・でも先生は悪くないの。私が問い正した事だから・・・」
「でも・・こんな事されても・・僕は・・・」

言いよどむ卓也の言葉をマミはいつもの屈託のない調子でさえぎった。

「大丈夫ジョブ〜、並んで寝るだけ、寝・る・だ・け」

そう言ってマミは手を解き、卓也の背中をポンと押した。
しかし予期せぬマミの動きに応えきれず、卓也はつんのめって布団に倒れ込んでしまった。再び腰に激痛が走る。

「痛てっててて・・・ひどいじゃないかマミさん・・」
「あらあら、天才マミの元気が出るマッサージをお見舞いされに来たんでしょう? んふふふ・・・」

指をボキボキ鳴らしながらマミが卓也に迫る。まるで悪代官が今しも町娘を手込めにせんとする、時代劇のワンシーンの様である。

「指圧コロコロ玉五郎、押せば命のお茶が沸く〜、ってね」
「てね、って・・・お、お手柔らかに頼むよ・・・」

卓也はそう懇願したが、それで手加減する様なマミではなかった。



「帰ったわよ、ムンク」

アパートメントの自宅のドアの前で八神希美はそう言った。すかさず解錠する音がしてドアが開いた。
ドアのそばに濃紺のメイド服に身を包んだ、ショートカットのダーク・ブラウンの髪とワインレッドの瞳を持つ少女が立っていた。
希美が中に入ると再び鍵を掛け、ハンドバッグを受け取って彼女の前を歩き出す。

「そういえばメール寄こしたわね。 マミから例のモノを受け取ったんですって?」

CBDムンクは黙って頷[うなず]いた。

「前の行動履歴を受け取ってから一週間も経っていないはずだけど、どういうつもりかしらね・・・」

無口な少女にしては珍しい事だが、希美の問いにムンクは電子メールでは伝えなかった『大事な話』をした。
それを聞いた時、希美の歩みが止まった。同時にムンクも立ち止まり、振り返って彼女の方を見た。信じられないといった表情の希美がそこにいた。

「・・・今、何て言ったの・・・?」

ムンクは再び話した。
――マミさんが旅に出るそうです――と。


(続く)


あとがき

第一話のあとがきで書き忘れましたが“前兆”についてはこの作品の為に用意したオリジナル設定です。
って、こうでも書いておかないと「メイ」初心者の方に誤解されますからね。くどいようですが、本編に対するフィクションですから、あくまでね。
マミさん達のことも含めて(笑)。


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