FACE TO FACE 第8話


もみじ山市のとあるコンビニエンス・ストア。
時計は既に22時をまわっていたが、店内には7人ほどの客がいた。
ある者は雑誌コーナーで立ち読みをし、またある者は仕事帰りの買い物し、そしてある者は店内にも関わらず携帯電話で友人との雑談を大声で交わしていた。客達の大半の関心はその携帯持ちに向けられていた。
場を考えない無思慮なその振る舞いを疎ましく思ってはいたが、その態度は無関心を装っていたり、時々不快そうな視線を送ったりと様々であった。
喋っている当人は周りの気持ちなどお構いなしに、入り口のそばで自分の世界に浸っている。
見かねた店員が携帯に向かって喋っている客に注意しようとしたその時、新たな来店者があった。

「いらっしゃいませー・・・」

途端に、場の空気が一変した。文字通りに。
入ってきたばかりのその客は異臭を漂わせていた。その凄まじさは会話に夢中になっていた携帯持ちを黙らせてしまっただけでも推して知るべしであった。
不吉なことを思い浮かべたのであろう、携帯持ちは自分だけの空間を抜け出し、異臭の発生源であるオレンジ色のジャンプスーツを着た女に接触しないようにして、そそくさと店外に逃げ出していった。
他の客達も不審そうな目を向ける中その女、サラは店内をキョロキョロ見回すとレジの中の店員に尋ねた。

「すみません・・あー、アンタも臭ってると思う? いえね、あたしラーメン屋のハシゴしてたんだけど、にんにくチャーシューメンてのをしこたま食べたら何かすごくクサイ臭いさせるようになっちゃったらしくてさ、道すがら出会う人たちにジロジロ見られてヤバイなって思ってたのよ。ここ臭い消しのスプレーか何か売っている? あたしは嗅覚セ・・・鼻を塞いでいるから大丈夫だけど、周りの人はやっぱり嫌がるよね?」

(何言ってるんだ? この女)
むせ返る様な臭いを堪えながら店員はそう思った。
鼻を塞いでいるとはどういう意味だ? 鼻栓をしている様には見えないし、第一鼻声にもなっていない。
疑問を抱きながらも彼はマニュアルに沿って応対した。

「それでしたらそちらの化粧品コーナーに消臭スプレーが置いてありますが・・・あっ、でもお口の臭いでしたら後ろの棚の・・・」

しかしサラは説明を聞き終わらない内に化粧品の陳列棚に向かい、めぼしいスプレー缶を手に取るとあろう事か包装のフィルムを破り、その場で全身にスプレーをふりまき始めた。

「お、お客様困ります!・・・」

後を追ってきた店員は注意しようとして息を呑んだ。サラはキャップを脱ぎ、髪や顔だけでなく口の中にまでスプレーし始めたのだ。

「ああ、ゴメンね。ちゃんと買うからさ。早くこの臭いを消した方がアンタらも助かるでしょ?」

そう言ってサラは周りの空間にもスプレーし始めた。

「・・・だ、大丈夫なんですか? く、口の中・・・」
「ああコレ? ちょっと舌がピリピリするけど・・・ま、大丈夫でしょ。迷惑のお詫びにちょっと買い物させてもらうよ。仕事仲間に土産物持って帰るって約束しているからね・・・」

夜のコンビニ勤務ともなればおかしな客がやって来る事も珍しくはない。
しかしここ以外のコンビニのアルバイトをした事のある彼でも、サラのような客には出くわした事がなかった。
それにしても・・・。

「ラーメン屋のハシゴって、何杯食えばそんなに臭うんだよ」

店員の疑問を、立ち読みしていた男が鬱陶しげに代弁した。

「にんにくチャーシューメンかい? 9杯かな・・それともトータルで? それなら・・・36杯だね」

立ち読みの男が持っていた本がその手から滑り落ちた。

「嘘だろ・・・」

誰かが呟いた。店内の客の目がサラに注がれている。

「うんにゃ、マジで。キヒヒヒヒ」

にこやかにサラはVサインを出した。

(イカれている・・・)

店員はサラがこの街の住人でない事を祈った。


「・・・そもそも人間てのは自分が生きていた証を残したがるもんだ。政治屋なら愚にも付かねぇ政策を成立させようとしたり、それが叶わなきゃ似てもいねぇ銅像作らせたり、写真一枚で済むのにわざわざ肖像画描かせたりとかしてよ。ところがこの早乙女和也ときたらMAIDシステムは作ったが自叙伝すらも残してねぇ。普通だったら、私はこんなに苦労してここまで来ましたよと立身出世物語の一つもでっち上げたりするもんだ。世間の皆様の感動を呼んで印税を稼ぐためにな・・・。だが奴は・・あるいは奴の遺志を継いだ連中はそういった受けの良さそうな話さえも残さないようにしてきたらしい。21世紀の時点からな。妙だと思わねぇか?」

課長は親指で無精ヒゲの生えたあごを掻きながらミチにそう言った。

「そうですね・・・」

ミチは生返事をしながら頭の中を整理していた。

(文献によれば早乙女和也はイカリヤという小型ロボットを素材にしてMAIDシステムに繋がるプログラムの研究開発をしていた・・・そうだ、それはCBDメイの発注以前から行われていた事になっているからMAIDシステムの開発と今回の発注に関しては直接の繋がりはないはず・・・タイム・パラドックスは起きていない・・・でも”今日”から後はどうだろう? メイの口からMAIDシステムの名が登らない事はあり得るだろうか? 彼の様な人物ならサイバドールのOSに興味を持ってもおかしくはない・・・)

「奴の身の上には俺達に知られたくない何かがある・・・俺はそう睨[にら]んでいるんだ」
「彼が・・・早乙女和也が犯罪を犯した・・・とは考えられませんか?」
「あぁ!?」

ミチが意外な事を口にしたので課長は驚いた。

「あって欲しくはありません・・・しかし、そこまで徹底的に素性を隠す理由は他に考えられません」
「いくら何でもそりゃ考え過ぎだろう。可能性は無くはねぇが・・・」
「議事録にもその可能性について触れています。CBDメイの頭の中をのぞいてOSを調べ、それを自分の研究として発表するのではないかと。もっとも彼がメイの外部入出力端子を見つけられればの話ですが」
「いや、それはあり得ねぇ。上の連中は見過ごしているが、システムをパソコン上に呼び出せばバージョン情報が解る。そこに書かれているのは『今年』の年号だ。信じるかどうかわからねぇが、メイが未来から来たと知って、わざわざタイム・パラドックスを引き起こす原因を作ったりするか? 仮にてめぇの儲けの為にそんな事をしたとすれば、CBDの開発はもっと早まっているはずだろ?」
「当時の技術でCBDの開発は無理です」
「CBDとは限らねぇ。もっと安っぽい、アルミとプラスティックで出来てるロボットで十分だ。肝心なのはMAIDシステムを売りにする事なんだからよ」
「・・・・・課長はさっき私達のしてきた仕事は歴史上の必然的出来事とおっしゃいましたね。つまり時間移動者が過去に干渉することも、あらかじめ歴史のシナリオに組み込まれている事だと」
「そうとでも考えなけりゃ、戻ってきても変化が見られねぇ事の説明がつかねぇだろが。だからこそ俺達は時間移動を商売の手段にしているんだよ」
「でもその一方でタイム・パラドックスの起こる可能性については常に配慮している・・」
「まぁな。『調子に乗りすぎると後で痛ぇ目に遭う』ってのは何事にも言える事だ。だからこそ時空管理局がややこしい事の起こらない様に目を光らせている訳よ・・・何か乾いてきたな。コーヒーでも飲むか?」
「いえ・・・私が持ってきます」
「いや、いい。おめぇは議事録の続きでも読んでてくれ」

課長は立ち上がるとドアの脇にあるディスペンサーに向かった。
ミチはデータ・パッドの画面を見ながら課長の話していた事について考えていた。

(早乙女和也の元にCBDメイが届けられた事が歴史的必然であるなら、今の私たちがあれこれ気を揉んでも仕方のない事なのかも知れない・・・でも、システムのバージョン情報には早乙女和也の名も書き込まれている・・もし彼がシステムにアクセスして、そこにある自分の名前を見たらどう思うだろう?・・・彼が迂闊なまねをする人間で無いことを祈るしかないのか・・・そういえば・・・)

「課長・・・」
「どうした?」
「さっき早乙女和也の遺志を継いだ連中とか言いましたね?」

ミチは煮詰まったコーヒーを持って戻ってきた課長を振り仰いで言った。
歩きながら一口飲んだのだろう、苦そうな顔をしながら彼は椅子に座った。

「そういや言ったな」
「つまり早乙女和也の素性を後世に伝えない様に活動している、伊賀忍者や聖十字騎士団の様な存在があるという事ですか?」
「よくその名前を知ってるな先生。まぁ、そんな仰々しいものじゃねぇんだが・・・実は本当にいたんだよ・・・そういう連中が。まだそこまで読んでいねぇか?」

ミチはあわててーー途中のページを速読しながらーー課長に指示された画面にたどり着き、それとおぼしき名前を見つけた。

「ハイランド・セキュリティ・システムズ・・・課長、これが・・・」
「ああ、早乙女和也の秘密の管理を一手に引き受けている会社だ」


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