FACE TO FACE 第6話


ミチが折り紙に興味を持つきっかけになったのは、一つの紙飛行機だった。
彼女が配達員になって間もない頃、届け先の家で3歳くらいの子供が親にくっついて玄関に現れた。子供の手には親と一緒に作っていたらしい紙細工があった。
ミチがそれは何かと訊ねると、子供は紙飛行機だと答え、廊下の奥に向かって飛ばして見せた。
その家を後にしてからも、ミチはあの紙飛行機が気になっていた。
二等辺三角形の中心に垂直尾翼とおぼしき部分の付いた紙細工。
実際に飛んだのだから、航空力学的には理に適ったデザインなのだろう。
問題はその形にあった。それはミチが知っている、人間が造り出したどの航空機とも違う形をしていた。

(実在しない形なのに、何故その形を作れるのだろう? どうやってそれを飛ぶ形に作り上げたのだろう?)

仕事が終わってからミチは、記憶を頼りに買ってきた折り紙で紙飛行機を作ってみようとしたが、やはり折り方は解らなかった。
たまたまそれを見ていた課長が「こりゃ人間のガキなら必修項目だぜ」と言いながら慣れた手つきで紙飛行機を折り上げてしまった。「こんなもん作るの何十年ぶりだろぉな」と付け加えながら。ミチはあっけにとられた。
それから彼女は折り紙に関する本を調べ、折り紙が物の形の再構築である事を知った。
紙一枚で折るのだからデザインが単純化されるのは当然かも知れない。
重要なのは「その形」を導き出すための探求心と創意工夫だった。
その後ミチはサイバドール開発史を記した文献に触れ、何故かその事と人間がCBDを開発する過程がどこかで通じているような気がした。
それ以来、普通のCBDなら気にしないような事にミチはこだわりを持ちだした。
超高速型電算機や目覚まし時計は本来、人の姿をとる必要のない物である。
だが人間はそれらに人の形を与えたいと考え、その思いがCBDケイやCBDミミを造り出した。
人間に言えば笑われるかも知れない。だがミチは折り紙を通じて真剣に知りたいと思った。
物に人の形や心を与えたいと思う人間の感性を。
そしてその延長線上にある早乙女和也の存在を。

だが、早乙女和也に関する情報は限られていた。
その秘密の壁が今夜、破られようとしている。
早乙女和也の元に配達する仕事がある。その事を知ったとき、サラを押しのけて志願したいとどれだけ思ったことか。
しかし課長が憂慮する事も解っていたので、あえて口には出さずにいた。
その好奇心の強さ故に、人間とトラブルになりかけた事は一度や二度ではなかった。
その意味で言えば、早乙女和也に関心のなさそうなあのサラなら今度の仕事にはおあつらえ向きなのかも知れない・・・・。


サラが屋根の上で待機していると、アパートの裏側から何かが割れる音と男のうめき声が聞こえた。
喧嘩だろうか? 何かの事件だろうか?
しかし、たとえ人死にが出たとしても、その始末はこの時代の人間にまかせればいい。違う時代からやってきたサラが関わっていい事ではない。
そうこうする内に体内時計のカウントダウンがゼロに近ずきつつあった。仕事を早く終わらせたい。そして早く「らうめん」を探しに行きたい。
サラの頭はその事で一杯だった。
3・2・1・・・0! オーダー完了の瞬間である。サラは音を立てないように屋根を降り、その縁に掴まって半身を捻るようにして玄関前に降り立った。
204号室。早乙女和也の部屋の前である。
オーダー完了から10秒経過。サラはチャイムを鳴らした。
「はい?・・・」中から声がして玄関のドアが開いた。
サラの前にティーンエイジャーらしい服装の青年が現れた。早乙女和也である。
しかし、サラは課長の言いつけを守り、彼の顔をろくに見ていなかった。目深にかぶったキャップのつばの向こうには首から下しか見えていない。
早乙女和也にとってもそれは幸いだったかも知れない。ラーメンの事が頭の中に渦巻いているサラは目を血走らせ、こめかみには青スジが浮かんでいた。

「ご注文のお品をお届けにあがりました。どうぞ・・・こちらです」

サラははやる気持ちを抑え、マニュアル通りに挨拶をした。

「あ・・・は、はい」

早乙女和也は緊張気味に品物の箱を受け取った。だが、それから2秒経っても彼はサラの期待しているリアクションを起こさなかった。

(ほら、どうしたんだよ。ハンコだよハンコ! 伝票に受領印てとこがあるだろ? そこにハンコ押すんだよ! アンタのハンコ押してもらわないとあたしの仕事は終わんないんだよ! 早くハンコ持っといでよ! ハンコだよハンコ! ハンコハンコハンコハンコハンコハンコ・・)
「ハンコ下さい」
「え? ・・・ああ、ハイ」

サラに促されてようやく早乙女和也は印鑑を取りに行った。

(おせーんじゃ、このタコ!)

早乙女和也が台所に引っ込んだのと、その音が聞こえたのはほぼ同時だった。

チャ〜ララ〜ララ・・・

(チャルメラの音!)

文字通り、リップから手渡されたあの音色だった。音はまだ鳴り続けている。
サラは瞬時に音源の方向と距離を特定した。

「ハンコハンコ・・・はい・・え?」

早乙女和也がドアの前に戻ったとき、既にサラの姿はなかった。

「あ・・あれ・・・あの・・ハンコ・・・」
玄関の前に出て来て辺りを見回したが彼女は影も形も見えない。
昼間であれば、少し離れたところ、民家の屋根の上を八艘飛びするサラの姿が見えたのかも知れないが。


戻る 目次 次へ