Angel Class Story 枝編断章「バイオリンの思い出」


シアが立ち去った後、一緒にシアを見送った征嵐はすぐ二階の自分の部屋に戻ろうとしたが、はっとして階段の一段目に足をかけたところで立ち止まった
「あ、シズ。バイオリンはどこにあるかな?」
「はい、ここにあります」
居間に置いておいたバイオリンを取ってきたシズは、タイミングよく振り向いた征嵐に手渡した。
「うん、ありがとう♪」
彼はそういって笑顔で受け取ると、少し疲れた様子で階段を上がっていった。
シズも一旦は一階の自分の部屋に戻ろうとしたものの、なんとなくすっきりせずに階段の下から征嵐の部屋を見上げた。
―ひょっとして、無理をして・・・いるのかな?―
自信はなかったが征嵐の表情を見てシズはそう思った。ただのガードマン型CBDの自分がそんな風に思える日が来るなんて思いもしなかったが・・・。征嵐と話がしたいと思った彼女はゆっくりと階段を上がり始めた。

部屋に戻った征嵐はどかっと絨毯の上に座り込むと、ケースを開いて改めてバイオリンを点検し始めた。
今ではほとんど弾く事もなくなってしまったが、大事な物だ。
古ぼけた無銘の量産品だが、彼にとっては大切な思い出が詰まった、他の物とは比べ物にならないバイオリンなのだ。
「ようし、大丈夫。新しい傷はなし!」
あまりやりたくない荒っぽい使い方をしたが、特に問題がないのを確認して満足してケースの中に置くと、閉めたふすま戸の前で立ち往生している人の気配を感じた。
「ふふふ・・」
かなり困っているであろうシズの姿を想像した征嵐は、小さく笑って彼女を呼ぶことにした。

―なんていって切り出そう―
征嵐と話がしたいと思って、ついに部屋の前に来てしまったが、どう切り出していいのか分からずに部屋の前でもじもじしていると、中から征嵐の声がかかった。
「シズ?・・・大丈夫、入ってきてもいいよ」
ふすまを開けると征嵐が座布団を用意して彼女を手招きした。
「あの・・・、えーと」
部屋に入って、座布団の上に正座すると言いにくそうに切り出す。
「あ、足は崩して・・・。」
「はい、その・・・・・聞いてもいい・・・・ですか?」
シズは座布団に座りなおしながら、少し上目遣いに征嵐を見た。
「うん、いいよ。何から聞きたい?」
「あの・・、強盗さんを眠らせたのはいったい、・・・どうやって?」
征嵐は特に気が重いようでもなく、ああやっぱりという顔をしてバイオリンに目を落とした。
「ああ、あれはな・・・・。実を言うと俺の特技なんだ。我ながらほとんど超能力のみたいなものだと思う」
「ええっ、そんな事ってあるんですか!!」
シズがおおげさに驚きの声を上げた。それに気を悪くしたのか?ほんの少しだけ征嵐の表情が曇ると声のトーンを微妙に下げて続きを話し出した。
「うん・・・・まあ、俺の場合だけだろうけど・・、このバイオリン使えば生き物なら99%はいける。他のバイオリンでも50%までは眠らせられるよ」
「その〜、バイオリンの音色に催眠効果があるわけじゃぁないんですか?」
「このバイオリンにも力はあるけど、そういう力じゃないんだ。これにあるのは、なんていうか、・・・そう、元々ある力を引き出すだけなんだ。間違いない」
彼はケースに手を添えると何かを思い出すように一拍置いて、さらに続ける。
「元々このバイオリンは母さんの形見なんだ。俺が小学三年生の頃に母さんは病気で死んだ。後でガンだったって聞いたよ。母さんはさ、結構有名な楽団に所属するバイオリニストだったんだ。母さんの弾く曲は聴いてる人たちを魅了こそすれ、眠らせた事なんて一度もなかったよ。
・・・俺もさ、そんな母さんみたいなバイオリニストになりたくて、小ニの頃バイオリンを始めたんだ。
曲らしきものが弾けるようになってくると、俺が通ってたバイオリン教室のクラスの仲間が半分位は眠っちまうんだよ、俺の弾く曲を聞くと」
「そうなんですか・・」
「でもその頃は、俺にそんな力があるなんて全っ然気がつかなかったよ。あれはー、馬鹿だったな。
それでようやく気がついたのが、母さんが死んでからさ。細かい経緯は忘れちまったけどバイオリンをクラスのみんなに聞かせることになったんだ」
征嵐は、少し脱力した様子でシズの顔を見つめてちょっと息をついた。
「・・・・」
シズは何も言わずに征嵐の次の言葉を待った。
「あれは、かなり衝撃だった。弾き始めて1分ぐらいで、さっきも見たようなことが起こったよ。・・・・確か・・・秋だったな。教室は締め切ってあって・・始めて約1分で教室の中にいた生き物は、金魚まで含めて全員ねむっちまった。
その時使ったのがこの母さんの形見のバイオリンだった。」
「でも、あの、それだけじゃ征嵐さんの力のせいだってはっきりした訳じゃ、なかったんじゃないですか?!」
シズは少し勢い込んで疑問を口にした。それが過去のエピソードだと忘れて、征嵐の気持ちをかばうかのように。
「いや、あの時はっきり分かった。みんなが眠っちまうのは、みーんな俺の音楽のせいだって。理屈じゃなく納得いったんだ。」
そういってから改めてシズを見ると、こころもち深刻そうな表情に気づいた。
「ん、なんだよ。お前が気にするようなことじゃないって。もう昔の話だよ、昔の。気にしてないって」
そういって笑顔を見せた。
「それにな、この話には笑える落ちがある。・・・実はな」
そういって声のトーンを下げると、微妙にシズの方に体を乗り出した。
「実は?」
「誰も俺の力に気がつかなかった。」
「え! だってそんなに変な事が起こったら、誰かが関連付けて考えそうですが??」
シズは毒気を抜かれて、今までの張り詰めた気持ちを忘れて驚きの声を上げた。
「普通、そう思うよな。ところが誰も俺にそんな事を言わなかったんだ。やっぱりクラシックってつまんないんだなっていってきた奴とか、ごめん気持ちよくなってつい、とか言ってきた奴はいたんだけど、みんな気持ちよさそうな顔して特におかしなことはなかったみたいに振舞うんだ。
センセーはセンセーで、天然系だったせいか良い夢見させてもらいました、なーんていうだけだし。正直そっちの方が責められるより気持ち悪かったけど、強引にまあいいかって思うことにしたよ」
そういうと、いまだに疑問に耐えないという風な表情をすると、腕を組んで考え込んだ。
―わ、笑えない気がする・・。―
何か、何か云うことないかなと思った彼女は、はたと気づいた。これってそんな簡単に人に云えるような事なんだろうか?
「あの・・・・、何で私にそんな事を話してくれたんですか?」
「え? それはシズが聞きたいっていったからだけど・・・」
「いえ、あの、そういうことじゃなくてー、えーと」
うまく言葉が出てこなくて困っているシズを優しい眼差しでみやって征嵐は言葉を続ける。
「そんなに簡単に教えられるような内容じゃ、ないんじゃないかってこと?」
「あ・・、はい、そうです」
「そうだなー、なんでかな・・・。シズになら話してもいいと思った。絶対笑わないだろうし、同じように人に言えない秘密を持ってるし・・・。うん、なんとなくサラッと言えるって思ったんだな。
実際、言ってよかったよ、なんか・・胸のつかえが取れたような気がする。」
シズはちょっと驚いて征嵐を見つめ返した。
―あ・・・私そんなところで役に立ってたんだ。なんかうまく言えない。言えない・・けど―
「嬉しいです、征嵐さん。私ちゃんとお役に立ってますね。先ほどは賊を捕まえられなかったけど、次こそは必ずやります!」
シズはいつも通りの笑顔で軽くガッツポーズなんてつけてみる。
それを聞いて征嵐は呆れ顔でシズにきついツッコミを入れた。
「まて!まて、そんなに何度も強盗に襲われちゃ困る!もみじ山神社警備主任がわざわざ強盗を心待ちにするような事をいってどうする。大体なー、あんなのに何度もこられたらシズの巫女修行が進まないだろ。・・この前お花のお師匠さんが言ってたぞ、あの娘さんはモノになるまでに随分かかりそうだって♪
さらにお茶の先生もぼやいてたな、あの子は私の指導能力に対する神による挑戦状に違いないって♪」
「ええ! はうー課題は本来のお仕事だけじゃなかったのですね。・・・はい、頑張ります・・」
「はっははは。まあ、元々巫女をやるために造られたんじゃないんだろ。気長にやろう、気長にさ」
くるくると変わるシズの表情がおかしくて、征嵐はつい爆笑してしまった。
そんな征嵐を見てシズは晴れやかな気分で確信した。これならもう大丈夫だと。
「あの・・もう一つ。さっき弾いていたのはなんて曲なんですか?」
「っっっく。ん?あ、ああ、あれはな『スターライト・ドライブ』って言う曲さ。母さんが好きだった曲で、元々は映画音楽だったって話だ」
質問に答える為にようやく笑いを止めるのに成功した征嵐は、まだにやつく表情でそう答えた
「あれ、いい曲ですね。私も好きになりそうです、また弾いてくれませんか?」
「ああいいよ。ただし自分が眠らないようになったらね。今の俺じゃまた途中で眠ってしまうからね。・・
ああ、それにしてもどれ位ぶりだろう。俺のバイオリンが聞きたいなんていってくれる人が現れたのは・・」
「はい、分かりました。いつか絶対ですよ。・・そうだ、一息ついたところでお茶にしませんか? 昼間、いいきんつばをもらったのです。私、これから用意しますね。」
「ああ、頼むよ。くれぐれも家で入れるお茶くらい失敗しないように頼むよ♪」
それを聞いてシズは少し怒った表情で言い返した。
「意地悪です〜征嵐さん! それ位はできるようになりました! じゃあ見ててください、最っ高のを入れて差し上げます!」
そういってばっと立ち上がると、ずんずんと早足で部屋を出て行った。
少し間をおいて征嵐はバイオリンケースを持って立ち上がると、階下のシズに向かってもう一声かけた。
「よし、思い切って玉露といこう! 右の食器棚の、二段目の棚の手前に赤いケースがあるから、その中の使いかけのやつを使ってしまおう!」
「はい!わかりました〜!」
のりがよく明るいシズの返事を聞いて満足すると、押入れの扉の上に据え付けられた棚のいつもの場所にバイオリンケースを納めた。
そして、部屋から出ようと向きを変えると開け放ったベランダ向きの窓から、そよ風と共に一時眠りについていた生き物たちの目覚める密やかな喧騒が流れ込んできた。
気持ちよい風と共に彼は1階に降りていく。何だか激動の一日だったが、今日は意外といい日だったんじゃないかと思う征嵐であった。



―ひとまず了、そして続く―

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