FACE TO FACE 第11話(後編)


ある日曜日の午後、サラは早乙女和也の部屋にいた。
天井を、窓を、壁を、そしてパソコンやその周辺機器に囲まれたデスクに向かっている早乙女和也をぼんやりと眺めながら、サラはあの時のことを思い出していた。
彼女と早乙女和也が初めて顔を向き合わせたあの日の事を。
あの日、自分は早乙女和也に会った最初のサイバドールになった。
サラがその事実に気付いたのは、あれからずっと後になってからだった。
もっともサラ自身は彼にあまり興味を持っていなかったし、彼もまたメイを受け取ってから後のゴタゴタでサラの事などすっかり頭から消し飛んでいた。

(あんなシケた出会いからこんな風になるなんて、あの頃は夢にも思っていなかったな・・・)

「サラさん?」
「なっ、何だい!?」

和也に呼ばれてサラは我に返った。和也はパソコンに向かったまま話し続けた。

「いいんですか? まだこんな所で油売ってて。南原にまた何か言われますよ?」
「構いやしないよ、あいつはあいつでよろしくやっているから。用があったら呼び出してくるだろうし・・・邪魔かい?」
「いや、大丈夫ならいいですよ・・・」

そう言って和也が再び作業に没頭したので、サラも持っていたグルメ雑誌に目線を落とした。
何故あの時の事を不意に思い出したのか、サラ自身にも分からなかった。
和也はイカリヤの駆動系制御プログラムのチェックの最中だった。
サラはその真後ろにあるベッドの上で壁にもたれかかって座っていた。
二人とも特に話す事もなく、それぞれの時間を過ごしていた。
やがてグルメ雑誌のラーメン屋に関する記事を読み終えたサラは目線を上げ、パソコンに向かっている和也の背中をじっと見つめた。

(一つぐらい胸を張れる"初めて"があってもいいよね・・・)

それは和也を意識する様になってから、サラの頭の中にしばしばちらつく言葉だった。
その事を後押ししてくれるかも知れない、サラの"最初"とか"初めて"にまつわるジンクス。
もしそれが叶うなら、ネガティブなイメージしかない自分の星巡りにようやく誇りを持てる。
その時の事を想像すると頬が自然に赤らんできた。
しかし、それには後にやっかいな展開が待っている事を覚悟しなければならない。
バレたら谷かすみや他のCBDが黙っていないだろうし、とりわけメイはきっと悲しい顔をするだろう。
それがそこまでして手に入れなければならない栄冠なのかどうか、サラ自身も計りかねていた。
なにより、後の事など構わないと腹をくくったとしても、肝心の和也がその気になってくれなければ話にならない。
サラは今、片膝を立てて座っている。彼女の着ているチャイナドレスの裾は開いたままになっている。
和也が振り向けば、かなり刺激的な光景が目に飛び込んでくる事になる。
それが分かっているから、和也はあえてサラに背中を向けたまま話しかけていた。

(つれないねぇ・・・)

女の部分をアピールしても和也がなかなか乗ってこないのが、サラはもどかしかった。

(思い切ってコナかけてみようか)

現在、この部屋にいるのはサラと和也だけである。メイは買い物で外出している。
かすみもケイもレナも街に出かけている。
考えてみればこの部屋で彼と二人きりになれる機会など滅多にあるものではなかった。
今頃行動を思いついたのが悔やまれるが、モーションをかけるなら今しかない。

「あのさ、早乙女・・・」
「何です?」
「・・今度ヒマだったらさ、二人でドライブに行かないかい?」
「えええっ!?」

思いがけない言葉に和也は思わず振り向いた。
期待を込めたサラの顔とドレスの奥の赤い布きれが目に飛び込んできた。一瞬目線を落として凍り付いた後、慌ててパソコンに向き直る和也。

「ド、ドライブって・・・でも僕、クルマも免許も持っていないし・・・」
「バカだね、運転ならあたしがするよ」
「クルマは? ・・・南原に?」
「あいつがアンタとあたしのデートの為にクルマ貸してくれる訳ないでしょ。らうめん代をレンタカーに突っ込むのはシャクだけどね」
「・・・僕と・・サラさんで・・う〜ん・・・」

(悩むこと無いだろ? いいって言っちゃいなよ。アンタのOKがもらえないとあたしも動き様がないんだよ。OKさえしてくれりゃ、後のお膳立てはあたしがするからさ)

「う〜ん・・・そうだな・・・どうしようかな・・・う〜ん・・・」

迷っているのはその気があるのか、嫌がっているのか、それとも単に優柔不断なだけなのか。サラはもう一押ししてみる事にした。

「クルマでどっか行ってさ、やっぱり海かな・・・それでどっかの食堂でらうめん食べて・・それから・・その後・・」

そこまで言った時、異様なものが視界に入ってサラはぎょっとした。
和也の向かうデスクの横にある押し入れの襖がわずかに開いていて、そこから「ニタァ」という音が聞こえてきそうな笑い顔が半分のぞいていた。
それはまるで世に言う「すきま男」ーー家具と壁のすきまから平面状になった顔をのぞかせてこちらの様子をうかがっているという、都市伝説に出てくる怪人物ーーを思わせた。
笑い顔はやがて奥に引っ込み、襖が開いて中にいた者が姿を現した。CBDケイである。
階下の自室から押し入れにしつらえたエレベーターで上がってきたのだ。

「ああ、ケイさん。お帰りなさい」

和也はホッとした様に言った。
サラは慌てて立てていた膝を下ろした。

(何だよ早乙女! 何ホッとしてんだよ! ケイもケイだよ、何でこんな妙なタイミングで帰って来るんだよ!・・・)

「ただいま和也くん。サラさんにはえっちな事されなかった〜?」
(げ・・・このヤロー、いつから見ていた?・・・)

ケイはスカートの裾をたくし上げると、風に揺れる藤の花の様に両足をさらりと下ろして押し入れから出てきた。
彼女の白い太股に目が釘付けになる和也だったが、すぐにモニター画面に向き直る。

「い、いえ、そんな事ないです、大丈夫ですから・・・」
「そう?」

部屋を横断したケイはサラと並んで座ると、ベッドの上に置かれていたサラの手に自分の手を重ねた。
重ねた手を通してケイからテキストデータが流れ込んできた。

[抜け駆けしようとしても、そうはいかないわよ、サラさん]
[何じゃと!? いつも早乙女を誘惑しとるのはおどれの方じゃろが!]
[いつもじゃないわ。たまによ]

もちろん、この静かなバトルに和也は全く気付いていない。
そこへ窓が開いてかすみとレナも入ってきた。

「和也クンただいまー。サラさん来てたんだね?」
「おぃーっす和也ー。イカリヤは直った?」
「ごめん・・・まだ動かせないんだ」
「和也さん、ただいま帰りました」

サラは溜息をついた。とうとうメイまで帰ってきてしまった。
こうなると和也にデートの約束を取り付けるどころではない。
かすみは持ってきた買い物袋の中身をテーブルの上に広げた。

「ほらほらメイ、買ってきたよー。充実屋のデパ地下のチーズチキンカツとカニクリームコロッケ。美味しいんだから〜」
「わぁ、すごいです〜。メイも負けないようにサラダとおみそ汁作りますっ」

サラはそっとカツとコロッケの数を数えた。案の定、5人分しかない。
かすみ達が出かけてからこの部屋に来たのだから、当然といえば当然なのだが・・・。

「さ、そろそろ和也くんも作業を中断して。お夕飯の支度をするから部屋の中も片づけましょ〜」

ケイの号令で一同は支度にかかった。お呼ばれを期待している様に思われるのも格好つかないので、サラは何の気無しに体育座りをしてその様子を眺めていた。

「サラさん、おぱんつ見えてますよ。はしたないですっ」
「え? あ、ご、ごめん」

片づけものをしているメイに言われて、サラは思わず正座した。
メイーーあの時サラが和也の元に配達した商品であり、今はサラの妹分のCBD。
長い待機にいらついて箱の中の彼女を怒鳴りつけてしまった自分が、今度はそのメイに行儀が悪いとたしなめられている。
これもあの時には夢想だにしなかった事だ。
苦笑するサラの顔をレナが不思議そうにのぞき込む。

「どうしたの? 何かおかしい?」
「ん・・何でもないよレナ。ちょっと昔の事を思い出してね・・・サイバドールの運命ってのも、面白いものがあるんだなって思ってたのさ」
「ふ〜ん、何だかよく分かんないけど・・・変なの」
「レナちゃん、食器出すの手伝ってくださ〜い」
「オッケー」

メイに呼ばれてレナは台所へ飛んでいった。

(そろそろ潮時かね)

これ以上この部屋にいても仕方がない。サラはベッドから降りた。

「さてと・・・早乙女、今日はこの辺でおいとまするわ」
「帰っちゃうんですか? 折角だから食べていきません? インスタントでよければラーメンもありますし・・・」

和也の気遣いは有り難かったが、場の空気が読めぬ程サラは愚かではない。

「気持ちだけ頂いていくよ。それにこういう状況になると、大抵アイツからかかってくるんだよねー・・」

そう言い終えた途端、サラの体内から着信音が流れた。

「ほら来たー・・」

皮肉っぽく笑いながらサラは左手を受話器の様にして耳に当てた。一同からすごぉい・・・と小さく感嘆の声が漏れる。

「はいは〜い、サラです」
『どぉこで油売っとんだ馬鹿者が〜!! どぉせ早乙女の所にしけ込んでいるんだろうが!!』
「怒鳴らないで下さいよ南原様・・今帰ろうとしてたんですから」
『だったらさっさと来い! 千尋が広島から送ってきた生ガキの味が落ちてしまうわ!』
「生ガキね・・はいはい」
『・・広島の吉川ラーメンもあるぞぉ。ほれ、お見舞いされたいだろうが、されたいだろうが〜?』
「き、きっかわらうめん・・・みっ、見舞われたいです! それで何杯くらい・・・」
『ところで愛しのメイちゅわんはどうしてるかな〜?』

自分の話を無視されたのでサラはムッとした。ラーメンの事なら尚更だ。

「メイですかぁ〜? はいはい、早乙女の為に暖かい手料理を作っておりますですよ〜」
『なっ、何だとお〜!?』
「では、そういう事で」
『お、おいサラーー』

サラはそこで受話器を置く仕草をした。

「ま、こんなもんだわ。じゃあね・・・そうだ、早乙女」
「何です?」

サラは窓縁に手をかけて振り返った。

「考えておいてね」
「!」

そう言い残すとサラは手すりに掛けておいたハイヒールを掴み、かすみの渡り梯子の上に立ってから屋根の上に飛び上がった。

「和也クン、なによアレ」
「え・・いや、大した事じゃないよ」
「・・・何か怪しいなぁ・・・」
「でもサラさん、何か気の毒です。いつも南原さんに振り回されて・・・」
「けど仮に独立したとしても、サラの事だから稼ぎはみんなラーメン代に消えちゃうよね」
「サラさん、私に聞いてくれればいい利殖の方法を教えてあげるのに・・・」
「ちょっとケイさん、まさかいかがわしい仕事じゃないでしょうね。大家の娘として聞き捨てならないわ」
「大丈夫よ。ちゃんとその道のプロもいるカタい仕事だから〜」
「その道のプロ・・ったって・・・」

あかね空の下、サラはハイヒールを履くと大きく伸びをした。そして一番星を探したが、まだどこにも見えない。
この屋根の下に世界の運命を塗り替える男がいる。ここからそう叫んでも今は誰も信じないだろう。
そして自分がこれから行く先には、その片棒を担ぐ男がいるのだ。
そう考えるとサラは妙に愉快な気分になった。

「いい具合にリフレッシュ出来たみたいだね・・・(いいさ、チャンスはきっとまだある・・・)待っとれよ、バカ殿!」

サラは屋根を蹴って飛び上がった。
今は通い慣れた道。あの日の様にサラは民家の上を八艘飛びしながら南原の屋敷に戻っていった。

(終)





あとがき

おかしいな・・・おかしいなぁ。
サラが主役のはずだったのに、あんまり目立っていない・・・。
和也の謎を引っ張り過ぎたのかな。それともミチを出しゃばらせ過ぎたのかな?
でもネタを振った以上、あれくらい書かないと収まりつかないんですよね。
小説って本格的に書いたのはこれが初めてだったのですが、いかがだったでしょうか。
「HANDMAIDメイ」のDVDソフトを持っている人だけが知っているという裏設定とかについては私は一切知らないので、その分好き勝手に書かせて貰いました。
裏設定を知っている方々には奇異に映る部分もあるかと思いますが、こんな作品も有りかなと思っていただければ幸いです。


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